案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
ラベル 三重電気鉄道 松阪線 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 三重電気鉄道 松阪線 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年7月7日木曜日

松阪線の丸妻電車4

「夏の日永駅」にやってきた2両の丸妻車をポンチ絵にしてみるとこんな感じに。
ところで、昭和50年頃の模型界では、1/80 9mmナローで部品やキットが盛んに発売されていて、「ひかり模型」は特に三重交通の車両の模型化に力を入れていたようであった。
丸妻電車も模型化されツートンカラー2両編成(完成品)が旧三重交通モ230形、サニ110形として販売された。私はてっきり松阪線の丸妻電車と思っていたが、モニ201形は電装解除後、モ261は改番後であり
あの転出後の一時期が模型化(下記ポンチ絵)されたのであった。



2011年7月6日水曜日

松阪線の丸妻電車3

素晴らしいHO(1/87)模型メーカである「アートプロ」さんのサイトの最新情報コーナで小ブログを紹介して頂き誠にありがとうございました。サイトのタイトルによれば「アートプロ」さんの模型は1950~1970年代の地方私鉄を中心に私鉄車両の素晴らしさをリアルスケール(HO1/87)で表現するとのこと。・・・惚れ惚れするコンセプトです。

「アートプロ」さんでは既に元松阪線の丸妻車モニ200(サニ110)形が模型化され、更に明日7日にはモ250(サ121)が発売とのこと。小ブログの丸妻車連載は偶然この発売直前のタイミングでした。
今回、松阪線の丸妻電車についてブログに連載して来ましたが、その目的は松阪線の丸妻電車が内部・八王子線へ転出後、トレーラ化改装や近鉄カラー化や近鉄改番など、松坂線の残党のことを整理して改めて写真を見ることでした。

松阪線廃線の半年後、昭和40年8月に撮影した中に三重交通カラーで揃った丸妻電車の編成が写っていないか探してみたところ、あったのがこの「夏の日永駅」です。モ261が改番で231になり、モニ202が電装解除してサニ112になり伴にツートンカラーだった時代。
昔発売された16番ナロー(1/80)の編成は何とズバリこの編成でした!

夏の日永駅. モ231+サニ112.  1965.8.5   ポップアップ画像
このツートンカラーもこの後すぐ近鉄マルーン一色になったことでしょう.

以下は丸妻車サニ112、113が活躍していた光景です。

平妻電車に牽かれた近鉄カラーの丸妻車サニ113. 日永近辺   ポップアップ画像

平妻電車に牽かれて近鉄カラーの丸妻車サニ113 が天白川沿いを行く.    ポップアップ画像

平妻電車に牽かれたツートンカラーの丸妻車サニ112  日永近近辺

2011年7月2日土曜日

松阪線の丸妻電車2

三重交通松阪線→三重電気鉄道松阪線(S39年2月)
松阪線廃線(S39年12月)
三重線(内部・八王子線)へ丸妻電車転属(S40年1月~)
三重電気鉄道の近鉄への合併(S40年4月)
三重交通ツートンカラー→近鉄マルーン化(S40年4月~)

1年ちょっとの間に三重交通の目まぐるしい変貌があり、松阪線の丸妻電車の転属後は
トレーラ化されたり、近鉄マルーンに塗られたり、近鉄改番もある等で次々と変化して行った。
松坂線にいた丸妻3タイプはどれも似通っているため、絵にして変遷を記載してみました。


先日アップした松阪線現役時代の写真モニ201とモ250の廃線後は、上記のようにトレーラ化され更に近鉄マルーン一色へと変貌して行った。またモ261はずっと昔S26年の転属時にトレーラから電車になったもので、近鉄になって改番された。

以下、近鉄合併直後の昭和40年8月の丸妻車全5両はこんな姿に。

電装解除されたモニ201はサニ111となり、近鉄マルーン化の準備中.内部 1965.8.5

電装解除されたモニ202はサニ112となった.カラーはまだ三重交通ツートンのまま


電装解除されたモニ113はサニ113となり、近鉄マルーン化も終わった.


電装解除されたモ250はサ121となり、近鉄マルーンに塗装中.

近鉄合併でモ261はモ231に改番された.1965.8.5

ラベル↓三重電気鉄道をクリック頂くとアップ済みの三重電鉄(軽便)が全て繋がります。

2011年6月30日木曜日

松阪線の丸妻電車1

昭和39年12月に廃線となった三重電気鉄道(旧三重交通)松阪線。
松阪線と云えば何と言ってもあの丸妻の電車がイメージされる。
亀山まで行きながら松阪線の訪問は果たせず、学生時代に鉄研の
先輩から頂戴したのがこの3枚の松坂線現役時代のプリントであった。

撮影: 全点 法政大学鉄研OB 日暮昭彦氏

下りモ250+サ462が 土手上を走行中.  篠田山→蛸路 1964.03.30
丸妻で側面ドア2枚はモ250とモ261があった.
モ250は廃線後三重線へ転属、モ261はS26年に三重線転属済み.

サ362 元中勢鉄道のガソリンカー「カ4」を客車化.



上りモニ201+サニ422. 左は閉塞区間を統合中の標識. 蛸路 1964.03.30
丸妻で側面3ドア(荷物合造車)はモニ201~203の3両がいた.

廃線時までいた4両の丸妻電車は、全て三重線へ転属し翌1965年8月に三重線で全車確認することができた。松阪線訪問は果たせなかったが、元松阪線の丸妻車4+1両が確認できたのは幸いだった。