創立75周年記念乗車券にあった周遊コースがこれでした。
どちらも船から瀬戸大橋見物を組み込んだもので、Aコースには下津井電鉄の下津井~鷲羽山までの乗車が組み込まれ、Bコースには電車の乗車がなく地上は全てバス移動でした。
瀬戸大橋開通後もこんなコースが存在したとするとメリーベル号の活躍はほんの一部ということに。そして岡山、倉敷からはJR開通により便利なJRで児島へやって来て、JR児島駅から離れた下電の児島バスセンターには寄らずJR児島駅からバスで鷲羽山めぐりや、大橋クルーズを楽しんで岡山へ帰るか、大橋を渡って四国へ渡るかで、下津井電鉄が投資した観光路線などには目もくれなかったことが想像されます。
大橋開通後、観光路線の起点である児島バスセンターに倉敷、岡山からの客を呼び込めなかったのが、下電バスもろとも観光路線が衰退してしまった大きな要因だったのでしょう。
大橋開通後、観光路線の起点である児島バスセンターに倉敷、岡山からの客を呼び込めなかったのが、下電バスもろとも観光路線が衰退してしまった大きな要因だったのでしょう。