案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2021年11月18日木曜日

大晦日の金沢

2021.11.18公開
TMS11月号の記事紹介からあっという間の1ヵ月、月日が経つのは早いもの。
もう12月号の記事紹介の時期になりました。
12月号の失われた情景第30回は「大晦日の金沢」北陸鉄道金沢市内線です。

冬休みに大晦日まで撮って夜行列車で元旦朝の東京に戻るという毎度のパターンで、正月を迎える街に活気が溢れた大晦日の金沢でした。 撮影日:1964.12.31



近江町市場の買物客で賑わう武蔵ヶ辻󠄀の大晦日風景。


大晦日の公園下風景を行く5系統寺町行きの2軸電車。


寺町から香林坊、公園下、橋場町経由して遠く離れた東金沢駅へ向かう緑の5系統の2軸電車。橋場町交差点


小立野から公園下、橋場町、武蔵ヶ辻経由して金沢駅へ向かう1系統。公園下-橋場町


東金沢から橋場町、公園下、香林坊経由して寺町へ向かう5系統。県庁前-公園下


2017年11月8日水曜日

金沢市内線の異端児

街並みでスタートした「金沢の街」の写真にコメント戴き、1枚目の写真からいろんなことが浮かび上がってきました。
電車の背後に写った街並みに今も残っている建物があること。あの区間が金沢駅前のループ単線区間であったこと。行先表示が金沢駅到着前に寺町行に変えられていたこと。そして元琴平参宮鉄道の電車を改造した金沢市内線では異端児の電車であったこと。
こんな元琴平参宮の電車と金沢の街並みの組合わせは僅か3年あまりで終わってしまった。

金沢の街並みを行くモハ2062(元琴平参宮電鉄)  1964.12.31

1963年(昭和38年)に廃止された琴平参宮電鉄からデハ81と83を譲り受け、狭い道幅に適合させるために車体を切り詰めるなど原型をとどめない大改造が行われて翌1964年使用開始。市内線廃止後はモハ2051とともに福井鉄道へ譲渡されてモハ511, 512となっていたが、同じく1969年(昭和44年)に廃車されている。wikipediaより


モハ2061(元琴平参宮電鉄)  撮影:田辺氏 1964.10.05 

モハ2062(元琴平参宮電鉄)   撮影:田辺氏 1964.10.05 


こちらも異色のモハ2051(元武蔵中央電気鉄道→北鉄金石線→金沢市内線)
撮影:田辺氏 1964.10.05 

2017年11月7日火曜日

金沢駅前のループ線。

北陸鉄道金沢市内線の金沢駅前のループ線はこんなでした。写真は1963~1964年撮影です。私が訪問した時に撮ったのは1枚目の写真で、この時はループ線に気付きませんでした。田辺さんが撮った4枚を時計周りループ線がある路線図と対比してみました。


金沢駅前のループ線。鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり第3分冊(1962年)より

 金沢駅前で行き止まりに見えたが、そうではなかった。1964年12月

駅前で向こうから電車がやってくる。1963年7月

電柱の表示を読むとこれが金沢駅前の電停のようだ!  1963年7月

 軌道が駅前で急カーブで曲がるのが判る。電車は常に左方向に向かっている。1963年7月

金沢駅を背にして2系統「寺町」行きがループ線を時計廻りに進行している。1963年7月

この寺町行き表示は金沢駅手前の白銀町で、早々と金沢駅→寺町行きに切り替えてしまうのを今回のコメントで初めて知った。先日の写真をもう一度。2系統寺町行が金沢駅に向かっている。
六枚町-白銀町 この2061が元琴平参宮電鉄とは!! 1964年12月

2013年12月29日日曜日

大晦日の金沢

2013.12.29公開

学生時代の年末年始の冬休みは絶好の撮影チャンスで、夜行で出掛けて撮り歩き夜行で正月の東京に戻るのを毎年繰り返していた。その中で特に印象深いのが1964年の北陸鉄道めぐりで、年末になると思い出されるのが大晦日の金沢の風景である。
北陸鉄道めぐり最終日が金沢市内線で、大晦日の金沢の街は人々がせわしく行き交い、廃線2年前であったが市内線の停留所には客が溢れていた。もし金沢に市内線が残っていたら今でもこんな光景が見られたかもしれない。

近江町市場の買い物客で賑わう中心部「武蔵ケ辻」の大晦日.1964.12.31

橋場町分岐点

2011年1月7日金曜日

大晦日の金沢市内線(ハーフサイズ)

1964(S39)年の北陸鉄道めぐりの最終日、浅野川線、金石線を訪問した後、大晦日の金沢市内線を巡った。先日(12月31日)のアップと違って今回の画像は全てハーフサイズ・カメラであり、画質は落ちるが街の風景はハーフサイズのメモ撮りが面白い。ハーフサイズを使ったのは35mmカメラに較べて倍の駒数が撮れるという費用削減策であった。        1964(S39)年12月31日

金石線の中橋から国鉄の踏切を渡って、市内線の白銀町あたりから兼六園下まで撮り歩いたので、ネガの撮影順に撮影場所を推定。

安江
金沢駅近くの複線区間でその先が右へカーブしていることから安江と推定。
②系統: 金沢駅ー香林坊ー野町広小路ー寺町

安江 - 武蔵ケ辻
安江のカーブ。②系統の電車は武蔵ケ辻を過ぎ金沢駅に向っている。 

尾張町
賑わっていた武蔵ケ辻を過ぎ、この先の橋場町分岐点までの直線区間。
①系統: 金沢駅ー橋場町ー兼六園下ー小立野。

尾張町
武蔵ケ辻を過ぎ尾張町あたり。
④系統: 野町駅ー武蔵ケ辻ー橋場町ー鳴和。

橋場町
北陸銀行とパチンコの看板から、正面が橋場町の分岐点。
④系統は左に曲がり鳴和に向かう。

橋場町の分岐点。

味噌蔵 - 兼六園下
兼六園下を過ぎ、Sカーブを曲がり橋場町経由で金沢駅へ向かう①系統。
①系統: 金沢駅ー橋場町ー兼六園下ー小立野。

味噌蔵 - 兼六園下
寺町からやってきた⑤系統は兼六園下の分岐点を左に曲がり、
橋場町経由で東金沢へ向かう。
⑤系統: 寺町ー香林坊ー兼六園下ー橋場町ー東金沢

兼六園下に到着。

ここで今回の北陸鉄道めぐりは終了し、金沢駅で夜遅く夜行列車に乗った。
すいた夜行列車で正月朝の東京へ到着するのは毎年のパターンであった。

2010年12月31日金曜日

大晦日の金沢市内線

尾小屋鉄道を撮った後は金沢へ移動し、翌12月31日は金沢市内線と金沢周辺の北陸鉄道めぐりと大変な強行軍の一日であった。この日のことは5月12日に「大晦日の金沢市内線」をアップ済みであり、それ以外の画像を主にアップします。

便のよい駅前旅館に一泊。金沢駅前の風景。  1964.12.31

単車も活躍していた金沢駅前。

①系統の小立野行きモハ2200形と街の風景。

兼六園と金沢城の間の兼六坂を登る、⑤系統の単車モハ314。

兼六園下の分岐点。 橋場町⇔小立野

①系統のモハ2100形と街の風景。


近江町市場の買い物客で賑わう中心部「武蔵ケ辻」の大晦日。
④系統の野町行モハ2000形。(前回アップした画像の再調整です)


これにて今年の更新を終了致します。
「地方私鉄 1960年代の回想」をお読みいただき、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。