案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年5月8日金曜日

オリンパスペンで撮ったカラー画像が蘇る

今回は、単なる「モノクロの色付け」ではなく、オリンパスペンで撮った不明瞭なカラー画像を生成AIで鮮明化してみると、これは驚いた59年前の記憶の空気感まで戻ってくる。


島原城から見下ろした瓦屋根の街並み、遠くに広がる有明海、その向こうに浮かぶ熊本。
 1967.3.3

今回の調整は
・海を少し淡くしたこと
・彩度を抑えたこと
・コントラストを自分で追い込んだこと
この調整が昭和40年前後の島原らしい冬〜春先の空気感に効いたようだ。

小さなハーフ判画像の不鮮明な情報から、AIは“存在しないものを勝手に作る”だけではなく、カラー画像の鮮明化では、カラー画像の中に埋もれていた微細な色調や形を拾い直して「当時の記憶に近い形」で再構成していると思われる。

昔のハーフサイズ・ネガの画像は粒子も粗く、情報量も少ない。しかし逆にその曖昧さが「記憶の風景」と非常に相性が良いのかもしれない。


島原の武家屋敷跡。1967.3.3

2024年7月23日火曜日

島原鉄道

300年の歴史がある「島原手延べ素麺」が生まれた土地は島原半島南部の西有家町須川。

古い線路図で見ると2008年に島原鉄道の部分廃線で消えた島原外港(現:島原港)~加津佐間に西有家の駅があった。その先が島原の乱の原城遺構がある南有馬。有明海の向こうは天草。

世界遺産の南島原を海沿いに走っていた島原鉄道の廃線区間。どんなに素晴らしい南島原の鉄道風景だったことだろうか。


島原手延べ素麺.南島原市西有家町


昭和27年 鉄道線路図(日本国有鉄道営業局)


撮影:1967.3.3
島原の街. 


島原城から有明海を望む.


当時は島原外港から三角港に渡り、三角から国鉄三角線で熊本へ出るコースだった.

2011年3月14日月曜日

島原鉄道

本日、東京都の計画停電は刻々と変わり、練馬区の一部地域は本日停電あり→なしとなった。
スーパやコンビニの店頭の光景を見ると不安をあおられるが、被災地でもないのに何故買いだめをするのだろうか、つられて買ってはいけない。

春を待ち長い間アップするのを待機してあった島原鉄道第二回目、
1967(S42)年春の島原の風景をアップしてみます。

島原外港駅。 この先を加津佐まで走っていた。   1967.3.3


島原外港を出発した加津佐行き列車。

島原武家屋敷跡。

島原武家屋敷跡。
島原城から見た島原湾。

島原城から見た島原湾。

2010年7月14日水曜日

島原鉄道

昭和42年の島原鉄道。
島原城から歩いて直ぐのところに島原鉄道の島原駅があった。街の風景も今では一変してしまっていることだろう。春の陽を浴び、のんびり走っていた島原鉄道は、今も諫早からこの先の島原外港駅まで走っている。

島原駅  1967.3.3

島原駅
島原駅
島原城から島原の街と駅方面を見る。遠くに島原湾の海が拡がる。
島原城