案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2025年9月8日月曜日

日本の社会の変わり目

クルマ社会の到来を掲載したのは10年以上前の2013年8月12日でした。
その時の「日本の社会の変わり目」の再編集版です。

この1964(昭和39)年の頃、大都市では既に車社会の到来が始まっていました。なんとか行き残ってきた地方私鉄もこの頃から急速に衰退して行く。この激変は一体何があったのか、私の中で漠然としていた高度成長時代の社会の変わり目と、地方私鉄の衰退を時系列に対比してみました。(軽便鉄道は地方私鉄衰退の事例として並べたものです)

これを見ると、私が地方私鉄を最も撮った時期1964(昭和39)年頃の日本は高度成長による社会の変わり目で、この年の東京オリンピック開催以降は高度成長のなかでも劇的な社会の変化で、車登録台数の急増や道路舗装率のデータからも爆発的な「車社会の到来」の時代であったと言えるでしょう。

地方へ撮影に出掛けた1962~1964年頃は大都市を除けば地方の道路はまだトラックやマイカーも少なく、地方私鉄には活気ある路線も見ることができました。それが1965(昭和40)年~に入ると沿線の道路整備も始まり車の姿が多くなってきて、それまでの地方私鉄の活気もあっという間に衰退→廃線へと向かったのでした。
1960年代の地方私鉄が様変わりして行く風景は、日本の社会の大きな変わり目に地方私鉄が翻弄されて行った時代であった。




1963年の新宿西口 青梅街道.


1967年第14回東京モーターショウ.
前年に続き展示された初代サニー1000
1966年にスタートしたマイカー時代は1967年秋の東京モーターショウで更に身近なものに.手の届かぬ存在のマイカーだったが、身近な人がすでにサニー1000を購入していた.

銀座4丁目の光景. 三越が改装中 1967.11.26
1966(昭和41)年に大衆車サニー、カローラが発売され、晴海で開催された東京モーターショーは大変な熱気であった。この銀座四丁目の晴海通りはそんなマイカーが身近な存在となってきた車社会到来の時代が思い起こされる。街行く人々に夢と希望が溢れ、昭和40年代の日本は経済大国への道をまっしぐらに進んでいた。


参考図書: 「高度成長-昭和が燃えたもう一つの戦争」 保阪正康 著 朝日新聞出版

2020年9月4日金曜日

霞丘陵から金子丘陵にかけて

青梅(東京)~飯能(埼玉)にかけて丘陵地帯があるが、八高線金子駅から見えるのが金子丘陵で、その西方の青梅まで連なるのが霞丘陵と呼ばれている。

1960年代半ば、地方だけでなく東京近郊にもこんな長閑な風景があった。

撮影:1966.9.29
八高線金子駅。一日何本もやって来た石灰石列車。 

金子丘陵とを背にして桑畑を行く八高線。 金子

金子丘陵を背後に石灰石列車が金子駅に到着する。

東京近郊でこんな長閑な風景を見ることができた。霞丘陵

上記ネガの次のコマにあった日本のモータリーゼーションの幕開け 1966.10.30

三菱

以下はホンダ

ホンダ

   1966.10.30

2013年8月13日の記事 前年1965年の マイカー時代の幕開け

2013年11月27日水曜日

あれから50年の東京モーターショー2013

サニー、カローラが登場しマイカー時代幕開けとなった東京モーターショー1966から約50年が経った今年の東京モーターショー2013。あの時の人々のクルマへの憧れはすっかり消えたが会場の熱気は50年前と変わらないようだ。

マイカー時代幕開けとなった1966(昭41)年の東京モーターショー1966

東京モーターショー2013
これからの生活の足はEVの時代. ミニEV

EVを飛び越えた究極の燃料電池車が実用化されるのは遠い未来か?

今の日本には似合わない昔憧れたクルマ

会場の熱気

2013年8月13日火曜日

マイカー時代の幕開け

日本のマイカー時代の幕開けは何時だったのか東京モーターショウから確認してみました。
東京オリンピックが開催された翌年の1965年は、高度成長の所得倍増政策が1960年にスタートして5年が経ち、次の高度成長躍動期がスタートした年でした。この年の秋に晴海で開催された「東京モーターショウ1965」には夢のマイカーを見ようと多くの人々が押し寄せました。
この年の展示はプロトタイプやレーシングカー、スポーツカーが多かったようで、大衆車ではスバルを除けばその後直ぐに消えてしまったような車ばかり。まだまだマイカー時代の幕開けはこの先のことでした。

東京モーターショウ1965   日野コンテッサ1300 1965.11.04

 日野GTプロトタイプ

 ホンダN800
ダイハツ
スバル


ところが翌年の「東京モーターショウ1966」になると、それまで決定打がなかった大衆車にサニーとカローラが登場し、いよいよ本格的なマイカー時代の幕開けとなった。学生だった私にとってマイカーは遠い存在でサニーもカローラも関心がなかったのか写真もなく微かな記憶だけでした。

東京モータショー1966の人々の熱い眼差し.   1966.10.30

日本がこんな華やかな時代になっても、この頃の地方はまだ未舗装道路で街外れの道路はホコリまみれの世界.並行する主要道路の整備が進んだところでは早々とバスへ切替え廃線となった地方私鉄も多かった.

 都市部を除くと日本の各地はどこもホコリが白く漂っていた.

淡路交通の沿線は道路のホコリで草木の緑も真っ白になっていた.1965年8月 1966年廃線
日本のどこにでもあった風景.

オリンピック開会式の日の横浜駅前の車. 1964.10.10 横浜市電は1972年全廃

2013年8月12日月曜日

日本の社会の変わり目

先日の金沢から港へ向かう雨上がりの金石街道で、どこまでも続く道路にトラックやマイカーの姿はごく僅か、金石線沿線からの貨物はまだ金石線で国鉄金沢駅まで運ばれていた。こんな光景は他でもよく見掛けたものです。

この1964(昭和39)年の頃、大都市では既に車社会の到来が始まっていました。なんとか行き残ってきた地方私鉄もこの頃から急速に衰退して行く。この激変は一体何があったのか、私の中で漠然としていた高度成長時代の社会の変わり目と、地方私鉄の衰退を時系列に対比してみました。(軽便鉄道は地方私鉄衰退の事例として並べたものです)

これを見ると私が金石線を撮った1964(昭和39)年頃の日本は高度成長による社会の変わり目で、この年の東京オリンピック開催以降は高度成長のなかでも劇的な社会の変化で、車登録台数の急増や道路舗装率のデータからも爆発的な「車社会の到来」の時代であったと言えるでしょう。

よく写真を撮りに行った1962~1964年の頃は大都市を除けば地方の道路はまだトラックやマイカーも少なく、地方私鉄には活気ある路線も見ることができました。それが1965(昭和40)年~に入ると沿線の道路整備も始まり車の姿が多くなってきて、それまでの地方私鉄の活気もあっという間に衰退→廃線へと向かったのでした。
1960年代の地方私鉄が様変わりして行く風景は、日本の社会の大きな変わり目に地方私鉄が翻弄された時代の姿であったことが分かります。


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軽便鉄道の貨物長大編成 1966年

参考図書: 「高度成長-昭和が燃えたもう一つの戦争」 保阪正康 著 朝日新聞出版