案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年2月20日火曜日

雨上がりの耶馬渓3


 撮影日:1967.3.5


羅漢寺駅のキハ101やまばと.


増水した山国川沿いを行く耶馬渓線の線路に現れる列車を待つ。




梅が咲く雨の耶馬渓.




景観の下にやって来た小さな気動車.


2024年2月12日月曜日

雨上がりの耶馬溪2

耶馬渓線の沿線でハイライトとなる羅漢寺駅は今や跡かたもないようだ。羅漢寺の駅および周辺の写真を並べてみます。

山国川に沿って走る列車が耶馬渓の景勝地に入ると、まもなく羅漢寺の駅に到着する。走ってきた洞門駅側を振り返ると「青の洞門」の上にそびえ立つ岩壁が迫り、鉄道(地方私鉄)と絶景が見事に備わった素晴らしい駅であった。

羅漢寺駅から、雨上がりの山国川沿いを上流へ歩いたが人の気配が全く無かったのが印象的。きっと観光客はバスでやってくるのだろう。沿線でカメラを持った鉄道ファンに出会うこともまずない時代であった。
撮影日:1967.3.5

羅漢寺駅へ引き返す手間で撮った1枚。左手に見える駅ホームと駅前の味わい深い民家、そして背後にそそり立つ耶馬渓の競秀峰。
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羅漢寺に到着した混合列車。羅漢寺から中津方面を見ると、耶馬渓の山国川に面した競秀峰が列車の背後にそそり立つ。

羅漢寺から引き返す車窓に「青の洞門」が見え、その先で山国川の鉄橋を渡る。
洞門 - 羅漢寺

青の洞門(隧道、トンネル)

羅漢寺を出た気動車の車窓に鳥居が見え、その向こうのに山国川に沿ってそそり立つ競秀峰とその裾にある大分県指定史跡 全長約342m 「青の洞門」が見える。洞門 - 羅漢寺


雨上がりの山国川橋梁を渡ると洞門の駅がある。沿線の民家は茅葺き屋根が多い。
 羅漢寺ー洞門
 

2024年2月11日日曜日

雨上がりの耶馬渓1

増水でよくニュースに出る大暴れする山国川を行く大分交通耶馬渓線.

耶馬渓の絶景と山国川が流れ青の洞門がある羅漢寺は魅力溢れる土地であった.

観光客もいない雨の耶馬渓はひっそりと静まり返っていた.

学生時代最後の撮影で、この翌月から社会人となったが社会はまだ週休1日の時代であった。

 
冠石から羅漢寺へ向かう耶馬渓線.1967.3.5
雨で増水した山国川.

2024年2月5日月曜日

庫内風景

どこの車庫や車両工場でも庫内風景は楽しいもので、
定期検査や改造でバラバラになった部品が並べてある。
完成車と違ってこんな光景の方に機械の美しさを感じてしまう。


加悦鉄道の庫内風景.
DB201 (昭和28年森製作所製) 1962.7.31




淡路交通の庫内風景. 1965.8.2
様々な改造や自社開発を手がけて来た魅力ある地方私鉄の車両工場であり、並べられた中古台車の部品一つ一つに惹きつけられた。工場の中でスポーク車輪がひときわ美しく輝いていた。 

 貴志川線 伊太祁曽の小さな車両工場.  1965.8.4
庫内に休むモハ202と奥には改装中の小型電車らしき2両が見える。この車両工場もガソリンカーの電車化改造を数々やってきた。

お馴染みの野上電鉄の日方車庫も凄い.1965.8.4
数々のガソリンカーの電車化は見事でその後、関西大手私鉄の払下げ車をネタに手持ち中古部品を組合わせて多くの野上仕様に仕上げてきた日方車庫。
庫内には元阪神869(→野上モハ51)の車体がマルーン色のままで置いてあり、あちこちに外された様々な電動機が積み上げられていた。この車両も他の譲受車の中古台車を流用して登場したようだ。  

2024年2月4日日曜日

福島模型製作所のOB会

昨日は福島模型製作所のOB会でした。
学生時代に旅費調達で福島模型でアルバイトをしましたが、そのアルバイトを共有したOB達が8人集まった。各人アルバイトした時期が1964年~1979年の間で異なるが、私が練馬にあった福島模型製作所でアルバイトをしたのは60年も昔1964年のことであった。


持ち寄った作品のお披露目.


テーブルに置かれた見事な古典蒸機の作品、写真をどんなに拡大しても粗が出ないので写真だけでは大きさが分らない.


これで大きさが まさかのNゲージ1/150と分かる.


昨年、池袋の個展でショウケースに並んだ無数の古典蒸機から数台が披露された。元々が小さい古典蒸機をNゲージ1/150でスクラッチ・ビルドとは驚きです。