案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年5月30日日曜日

西大寺市駅

西大寺鉄道のネガのスキャンをやり直しました。
これまでの写真の再掲になりますが、西大寺市駅と車庫を再度アップしてみます。


撮影:1962.07.29
終点西大寺市駅にあった車庫は一体何両格納されていたのかオープンデッキのボギー客車がビッシリ詰まっていた。単端は車庫に押し込まれていてキハ1と2などは全く写真が撮れなかった。表に出ていたのは客車ハボ14と駅の側線にいた客車4両とボギー貨車くらいであった。右手に整備工場棟がある。


顔を出していた巨大単端キハ10(左)と単端キハ5。
最大の注目がこのキハ10でこんなゲテモノ見たことないクラスの単端。

庫内は「西大寺裸まつり」の輸送に使われる大量のボギー客車が押し込められていた。奥のほうに前面流線型単端キハ1と2や、埃かぶった使われていない大型客車など。写真の平屋根客車は元菊池鉄道。



工場の脇に側線が1本、そこにあった給油塔設備と単端のターンテーブル。
線路の奥には活気あるバス整備工場があり鉄道と整備が兼用だったようだ。


駅の側線で休んでいた美しいボギー客車。


西大寺市駅の全景。左手に大変立派な駅舎があった。


まるで東南アジア風の貨物駅。


客車と同一サイズのアーチバーを履いていた貨車。

2021年5月21日金曜日

最後の夏 西大寺鉄道

 4月20日発売のTMS 6月号、
失われた情景 第24回は「最後の夏」西大寺鉄道です。
1962(昭和37)年の夏、まもなく廃線を迎える西大寺鉄道は
くたびれた線路を元気に走っていました。





西大寺鉄道にはユニークな車両が沢山いたのですがTMSの連載は車両紹介ではないので、いつもこんな再スキャン写真が使われずに残ります。


西大寺市


大量の客車などが押し込まれていた西大寺市の車庫。単端キハ5


巨大な単端キハ10


整備工場の内部にいた3両の単端は、後がキハ4でその前に巨大な単端キハ8、さらに入口にキハ5(写真上)がいた。

2021年5月16日日曜日

駿遠線のキハD4

 バケット付の小さな気動車を見たのが1963年春、その後見掛けず早いうちに消えてしまったと思っていた。ところが例の謎のハ29、30で二代目ハ29に変身していたのであった。
客車として使われていた時代の写真を探したらありました。





袋井で休んでいた小さなキハD4   1963.4.4



1966.9.23 この編成で2両目に異様な客車が見える。


部分拡大してみると二両目客車の腰高が先頭の気動車と同じくらい、 
これが元はキハD4だった二代目ハ29ですね。

 

2021年5月13日木曜日

豊橋鉄道渥美線の貨車にあった田口線の文字

テレビでもよく紹介される豊橋鉄道田口線の廃線跡。

廃線跡で人気の高い豊橋鉄道田口線、廃線は1968年9月ということで豊橋鉄道渥美線を訪問した1963年はまだ十分に撮影できた時代であった。渥美線で見た無蓋貨車の田口線の文字を見ても関心向かなかったが今思えば惜しいことをしてしまった。渥美線よりも山岳路線が素晴らしい田口線の方を撮っておくべきであった。

以下は1963.4.4撮影の渥美線です。


渥美線の無蓋貨車に記されていた「田口線専用車 本長篠駅経由」
この時代、田口線は車両情報しかなく田口線のすばらしさを知らなかった。

朝の渥美線で無蓋貨車の周辺にいた車両たち。
渥美電鉄創業当時の電動客車を貨車に改造した デワ31


渥美電鉄より引き継がれたデキ151  木南車両製の南海タイプ


朝の高師駅風景。


 薄暗い夜明けの新豊橋駅にいた一番電車。

2021年5月7日金曜日

カメラテスト ある日の川越と小江戸号

先日の撮影はSony Gレンズ 24mm F2.8 Eマウント広角を装着してカメラの設定確認テストでした。テスト結果は私の無知な設定で「Jpeg撮ってだし」は殆どが不満で、なんとかアップできたのがこの若干補正の1点と補正なしの3点。
撮った後に補正するならRawで撮るべきだが、最適なカメラの設定を見つけて「Jpeg撮ってだし」としたい。