これほど素晴らしい駅舎にも拘わらず当時の私には何も感ずるものがなかった。
西馬音内盆踊りも間もなくの8月のある日、お盆休みで西馬音内駅や雄勝線の列車が賑わっていた。夏休みで帰省した孫たち一家を祖父母が電車に乗って湯沢まで見送りに行くところでしょうか。改札口に見えるのは見送りにきた実家の人達か。 1964(昭和39).8.5
やがてやってきた湯沢行列車の賑わい。西馬音内
以下は7年後の電車→気動車化された直後の写真で撮影者に使用許可戴きました。
よくぞ撮ったものです、馬小屋風駅舎の全貌はこんなだったのですね~。
1971年夏の西馬音内の駅舎は電車時代と変わらずで7年前そのままのようです。
この時代はマイカーが普及しあの頃の賑わいはなかったことでしょう。
後に駅が湯沢側に移動し、その時にこの駅舎は消滅したようです。
以下の撮影:Usuiさん 1971.8.7
よくぞ撮ったものです、馬小屋風駅舎の全貌はこんなだったのですね~。
1971年夏の西馬音内の駅舎は電車時代と変わらずで7年前そのままのようです。
この時代はマイカーが普及しあの頃の賑わいはなかったことでしょう。
後に駅が湯沢側に移動し、その時にこの駅舎は消滅したようです。
以下の撮影:Usuiさん 1971.8.7
ボンネットバスが待つ懐かしい駅前風景。
地方私鉄で最も感銘を受けた駅舎です。
電車→気動車化されても電車時代そのままに残っていた。
あと10日ほどで西馬音内盆踊りが始まる待合室。私はこの待合室の風景を最も見たかった。
素晴らしい車両(この時は気動車)が走っていたからこそ、組写真にしてこの風景が引き立つ。