案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2013年5月28日火曜日

日立電鉄 廃線1年前

次は旧型車が一掃された後のよく知られた日立電鉄です。

2000年代は旧型車が一掃され元地下鉄銀座線2000系に統一されていた時代。この頃に何回か訪問のチャンスがありながら何故か気が進まなかったのは、初めて買ったデジカメがお粗末なもので撮る気がしなかったせいかもしれない。
廃線1年前の2004年6月、日立電鉄で母校鉄道研究会の創立50周年記念列車が走った。元地下鉄の日立電鉄2000形(2001~2010)、2200形(2211~2217)、3000形(3021~3026)が計23両在籍していた末期の日立電鉄を兄のアルバムからスキャンしてみました。

旧型電車カラーに塗り替えられた3000形3023+3025. 常陸太田 2004.06.13
「法政大学工学部鉄道研究会 創立50周年 マイロネフクラブ」
のヘッドマークをつけた臨時列車.

右 3000形3025+3023. 鮎川
ツートンカラーにするだけでかなりイメージが異なるものです.

2000形+2200形  常陸太田
1編成除くとどれもこれも真っ赤な元地下鉄電車ばかり.

久慈浜

久慈浜の車庫

久慈浜?

大甕

2013年5月27日月曜日

日立電鉄 旧相模鉄道の三角電車

相模鉄道からやってきた電車は元小田急のモハ1000形(1001~1009)と 元神中鉄道(後の相模鉄道)元旧相模鉄道の三角電車モハ13形4両(13~16) がいた。
写真は前面の傾斜が切妻タイプに変更された後の姿である。昭和10年汽車会社製の電気式ディーゼル車として生まれた神中鉄道 旧相模鉄道(現JR相模線)キハ1001~1004がルーツで、戦後になって発電用エンジンを外し電車に改造されたそうで、大変珍奇な前歴の電車である。
昭和23年に相模鉄道から日立電鉄へ譲渡され、その後1965(昭和40)年にあの三角電車の外観は切妻タイプに改造されている。1997(平9)年に全廃となった。

撮影: 兄 撮影日不明
モハ13形(15) 鮎川.すぐ脇を常磐線が走る街外れの終着駅.

元小田急車に挟まれて使われたサハ2801(元相模サハ) 鮎川?
手前の立派な軌道は常磐線なのでしょう。

常磐線に接続する大甕駅に停車中のモハ13形.

 片側が貫通路付となっているモハ13形. 鮎川

モハ13形

ワールド工芸さんのNゲージ 日立電鉄 モハ13三角電車 (旧カラー時代)
ここまで超マニアックなものが製品化されるとは驚きました。
これが16番なら即買いたいものです。

2013年5月25日土曜日

日立電鉄 元小田急1100形

小田急1100形は昭和22年に相模鉄道に9両が譲渡され、昭和35年には小田急→日立電鉄へ4両が譲渡されている。そして昭和39年に相模→日立へ3両、さらに54年に相模→日立へ3両が転入され、日立電鉄では元小田急1100形が計10両在籍していた。
相模鉄道での改造、日立電鉄での自社仕様改装、改番などで小田急時代との対比は大変厄介である。

写真にあるモハ1007~1009は戦後直ぐに相模鉄道へ譲渡された小田急デハ1163~1165で相模鉄道でモニ化され両開きドアとなった。両開きドアを除けば中学生の頃に乗った小田急デハ1100形に共通する面影がよく残っている。これら日立電鉄の旧型車は1991~1997年に東京地下鉄の真っ赤な電車に全て置き換えられてしまった。

撮影: 兄  場所と撮影日は不明

日立電鉄モハ1009(元小田急)
小さな窓、前面の顔などに小田急1100形の面影がよく残っている.

相模鉄道でモニ化されて両開きドアのまま転入したモハ1007~1009(元小田急)の1両.

モハ1007(元小田急)

モハ1005(元小田急)
小田急デハ1104→日立モハ1002→日立改番1005
昭和34年まで小田急を走っていた2編成8両の内の1両.
自社仕様改装で全く小田急1100形の面影は全くない。

参考 モハ12
自社仕様改装とカラーでまるで北陸鉄道のような電車.
前歴は小田急とは関係がない.

参考: RMライブラリー 第64巻 日立電鉄の75年 ネコパブリッシング発行