案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年5月29日金曜日

築館線の残照

「築館線の残照」仙北鉄道 1964年夏

鉄道が動いていた時代のこと以上に、鉄道が消えた後の線路の風景には深さがある。
そんなことに気づいたのは、撮影したずっと後のことだった。

この写真は仙北鉄道 築館線の廃線跡。当時私は何の感慨もなくシャッターを押したのは「記録として残すだけ」の感覚だった。ところが後になって見ると、妙に心に残る。

この線路の向こうにあった、かつての暮らしの気配。駅に集った人々の声。行き交う小さな2軸ガソリンカーのエンジン音。 それらが消えて久しいのに、ここには「何か」が残っている。鉄道が消えた後の線路の風景は、私たちに鉄道が活躍していた時代の光景を想像させてくれる。



瀬峰から延びる1950年に消えた築館線のナロー廃線跡。
撮影:1964.8.4

 過去に投稿した「鉄道が消えた跡の深さ」をカラー化したものの、やはりモノクロの方が似合うようで、ハーフ判モノクロ画像の鮮明化だけをAIでやってみました。




2025年7月14日月曜日

鉄道が消えた跡の深さ

先日、facebookに投稿した記事より

ー仙北鉄道 築館線の残照ー

鉄道が動いていた時代のこと以上に、鉄道が消えた後の線路の風景には深さがある。

そんなことに気づいたのは、撮影したずっと後のことだった。昔、鉄道写真といえば「列車ありき」で、車両がいない写真には興味がなく、ましてや廃線跡となると、“もう終わった鉄道”という認識しかなく撮りに行くこともなかった。

この写真はその頃に撮った一枚。仙北鉄道 築館線の廃線跡。当時私は何の感慨もなくシャッターを押したのは「記録として残すだけ」の感覚だった。ところが後になって見ると、妙に心に残る。

この線路の向こうにあった、かつての暮らしの気配。駅に集った人々の声。行き交う小さな2軸ガソリンカーのエンジン音。 それらが消えて久しいのに、ここには「何か」が残っている。
鉄道が消えた後の線路の風景は、私たちに鉄道が活躍していた時代の光景を想像させてくれる。


瀬峰から延びる1950年に消えた築館線のナロー廃線跡。
撮影:1964年8月

築館線の現役時代はこの小さな2軸ガソリンカーが走っていた。廃車になって瀬峰の車庫の奥にいた昭和9年日車製ハフ407 (元キハ3)

2025年2月26日水曜日

オリンパスペンから落穂拾い(7)

仙北鉄道 登米(とよま)駅.

落穂拾いではなく、落穂ひろいのネガで隣にあったコマを再スキャンしたものです。

登米駅は既に写真集などで使用したことがある画像です。


撮影:1964.8.4

軽便らしからぬ大陸的でゆったりとした終着駅.
画像を右クリック→新しいタブで開くクリック→新タブをクリックで横2000pix大の画像になります。



廃線後も使われた駅舎.


のひのびとした駐泊所


雄大な構内にポツンと気動車が1両.
(これのみ35mm判カメラで撮影)


2025年2月23日日曜日

オリンパスペンから落穂拾い(5)

仙北鉄道の佐沼駅 1966.3.1

35mm判の写真を使って紹介済みの佐沼駅の風景。
見慣れた風景だがハーフ判ネガの未キャンが見つかり初めてスキャンしてみました。 


佐沼駅の貨物列車 佐沼
トラック輸送幕開け直前の象徴的な軽便貨物輸送。軽便の小さな貨車が国鉄駅まで運び、そこから国鉄貨車へ積替えて各地に輸送していた時代。

佐沼駅


ト61 肥料を積んでいるのか


ワ621

ワ64



瀬峰駅

以下は瀬峰の貨物施設






脈絡のない栗原の電車.
仙北の次に向かった栗原電鉄.


2025年1月23日木曜日

瀬峰駅風景

1960年に東北本線から眺めた仙北鉄道の瀬峰駅風景が初めて見た軽便の感動だった。 


瀬峰駅風景 1966.3.1

2018年10月21日日曜日

仙北鉄道の雄大さ

先日の軽便祭り講演会では、プロジェクタで投影して初めて分かった仙北の雄大さのご意見がありました。PCや本の写真と違って大画面は別もの。そして写真展の大画面もPCや本の写真とは別もの。


仙北鉄道貨物の凸凹編成。 講演会より

仙北鉄道スイッチバック米谷の雄大さ。 講演会より

仙北鉄道スイッチバック米谷の雄大さ。 講演会より

貨物長大編成に合わせて駅構内もゆったりしている。 講演会より

2018年8月25日土曜日

仙北鉄道の浅部駅

浅部駅は古ぼけた待合室と立木の組合せがジオラマの題材(駅)にでもなりそう。
コンクリートの壁に土を盛り上げたホームは立派で、沼尻鉄道の停留所などと比べると遥かに立派な駅である。
1964.8.4
終点登米の一つ手前、畑の中にポツンとあった駅あさべ

味わい深い待合室に客が一人

やがて登米からやって来た気動車

沿線は一面の田んぼ

ジオラマの題材になりそうな、こちらは沼尻の「内野」停留所 1964.1.3

こちらも沼尻の「白津」停留所

2018年7月20日金曜日

仙北鉄道

ともに撮り歩いた青蛙さんの素晴らしい仙北鉄道を。

撮影:和田英昭 1964年夏
北上川の風を受け一関街道を行くリヤカー、孫の手をひく祖母、そして米谷を発車した気動車が登米(とよま)へと向かう。 北上川のほとりに詩情あふれる風景があった。

先日アップした米谷駅はこちら→ 仙北鉄道米谷駅

2018年6月21日木曜日

仙北鉄道 瀬峰駅風景4

瀬峰駅構内の一角にあった車庫や機関庫の建物を集めてみました。
1967~1968年の構内配線図が「軽便探索」新井清彦著 機芸出版社に発表されています。

撮影 W:和田  K:風間 
瀬峰駅の跨線橋と仙北鉄道のりば。 1964.8.4 (W)
仙北鉄道の構内の脇をひっきりなしに東北線の蒸機がダイナミックに走っていた。

国鉄蒸機のはなし。
瀬峰では仙北の機関庫に入庫中の車両を引き出してもらったりして、日が暮れるまで車両撮影に時間をかけたが、すぐ横では東北本線の蒸機が我がもの顔で走っていて、まだまだ蒸機が主役の時代であった。小さな軽便を眺めていると、よけい国鉄蒸機の迫力を感じたものだった。花巻駅でもそうであったが、こうふんだんに蒸機がやって来ると、見ているだけでは勿体なく、いずれ東北本線の蒸機をじっくり撮ろうと決意する。(SLブームになるとずっと前のことであった)

給水塔がある機関庫とその左に車庫一棟。1964.8.4 (W)

DC102とキハ2402が休む機関庫。 1964.8.4 (K)

外に出してもらったDC102。1964.8.4 (K)

機関庫の裏側にあったターンテーブル。1964.8.4 (W)

二階建の建物が仙北鉄道事務所。1964.8.4 (K)

事務所入り口。1964.8.4 (W)

本社と連なる客車の車庫。1966.3.1 (K)

その反対側の小さな小屋。1966.3.1 (K)

2018年6月18日月曜日

仙北鉄道 瀬峰駅風景3

撮影 W:和田  K:風間 
東北本線の瀬峰駅前。1964.8.4 (W)
国鉄駅前などは滅多に撮らないもので、貴重な画像だ。パチンコホール、駅前旅館など、どこにでも見られた駅前風景。確か写真の左手にあった駅前旅館に泊まったが、農家を改造したような旅館をなぜ撮らなかったのか悔やまれる。改札を入ると跨線橋を渡った先に仙北鉄道のりばがあった。

瀬峰の駅前旅館のはなし。
8月4日、花巻を出て夕方6時半頃、瀬峰に到着し仙北鉄道の車両を横目に階段を上り瀬峰駅前に出た。駅前には宿が3軒ほどあったが、どれも粗末で凄い宿ばかりであった。ここでも食事付き1泊600円の宿に泊まった。なんとなく沼尻の川桁駅前の宿と似ていて農家を改造したような旅館であった。これまでの宿であらゆる点で最低ランクに近かった。夕食後、街中を歩いたが寂しい街で何もなく、どの建物も薄汚い感じであった。翌日、夜行で青森へ向かう予定であったが車中泊が嫌になって、結局この瀬峰の駅前旅館に2泊することになった。ほんとうは世間一般と同じようにのんびりと観光の旅をしたかった。


仙北鉄道のりばで待つバタ臭い気動車キハ2406。1964.8.4 (K)

つい猫屋線の2枚窓気動車を並べたくなってしまう。

佐沼・登米方面行きホーム。 1964.8.4 (W)

朝のラッシュ時は客車2両連結の列車が何本もやってきた。 1964.8.4 (K)

2018年6月17日日曜日

仙北鉄道 瀬峰駅風景2

瀬峰駅 1964.8.4 (K)

1960年代、仙北の貨物輸送も次第にトラック輸送に移行されていた時代だったのでしょう。写真に国鉄貨車とトラックとのやり取りの風景が見える。
ところが昭和41年3月朝の貨物駅には軽便貨車が出払っていて、まだまだ軽便貨車の輸送が盛んに行われていた。
撮影 W:和田  K:風間 
先日の跨線橋から撮ったトラック積み下し場の2年前の風景。この後こんな建屋も撤去して次第にトラック積み下ろし場が拡大されて行った。1964.8.4 (W)

トラック積み下ろし場の脇に並んだ国鉄貨車と軽便貨車。 1964.8.4 (K) 

貨物の積み替えホームで、国鉄貨車と軽便貨車がホームを挟んで停車している。軽便にしてはかなり規模が大きい。1964.8.4 (W)

朝の貨物列車が仕立てられると、これら軽便貨車は全て出払ってしまった。築館行のバス道路でもある線路はしっかり現役貨物線として使われていたが、バスがきたら貨車をどうやってどかすのでしょうか? 1966.3.1 (K)

荷物車と貨物積み替えホーム。 1966.3.1 (K)

貨物積み替えホームではベルトコンベアが使われていた。 1966.3.1 (K)

1964.8.4 (W)
貨物留置線に待機している軽便貨車。既にトラック輸送が始まっていた時代に米や肥料以外に一体何を運んでいたのだろうか。 1964.8.4 (K)