案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年6月5日火曜日

仙北鉄道 米谷駅

今回の本「地方私鉄1960年代の回想」で取上げた仙北鉄道米谷駅の小さな写真。
この駅風景がけっこう注目されて、もっと大きな写真で見たいとの要望がありましたので、ヨコ1280pixの写真にしてみました。

米谷駅 1964.08.04

駅の日常はジオラマの小道具ようだ。駅入口の郵便ポスト、夏休みの女の子、大きな荷を置いてベンチに休む客、たばこの看板、アイスクリームBox、小さな売店(今のコンビニ)、ストーブの長い煙突、駅前のキャブオーバ・バスとオートバイのおじさん。のんびりした時間が過ぎていく。

以前アップしたことがある部分拡大。


とうとうと流れる北上川の畔にスイッチバックの米谷駅があった。

スイッチバックの米谷駅にしきりに貨物列車がやって来ては、方向を変え登米や瀬峰へ向かっていった。

米谷でΩ状にカーブし、とうとうと流れる北上川。

今話題の猫屋線のナロー模型を眺めていると、雄大な北上川の流れと米谷駅の佇まいを組み合わせたセクションレイアウトを妄想してしまう。

6 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

いいですね、米谷駅。
軽便の「立派な駅」って、今では絶対に見られないですよね。
すごく生活感があって 大好きな画像です。
長閑な雰囲気なんですが、役者が揃っていて、田舎ならではの活況がうかがえます。

それにしても、猫屋線の出来が良いのには驚きます。
そのまま使えて、安価に軽便ムードが味わえるのが、私などのビギナーにとっても、ありがたいと思います。

Cedar さんのコメント...

この時代の軽便は、規格が軽便なだけで、国鉄の支線かそれ以上の役割を担っていたのですね。
保線の行き届いた線路に感心します。

ED4012 さんのコメント...

拝見していると、砂利道を駅に向かう親子連れや、駅員さんと「暑いね」と話し込む客の姿など、写真には写っていない光景まで浮かんで来ます。この時代の地方私鉄の大きな魅力は、こういった要素ですね。
私が私鉄行脚を始めた80年代には、既にこうした情景は数える程しかなくこの20年間に失ったものは計り知れないと改めて感じました。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
今では見られなくなってしまった軽便の立派な駅。
華やかな時代が消滅してしまい悲しいですね。

猫屋線は足回りを除けば車体はとてもよくできています。
2両セットで4千円とは、これまでの真鍮製ファインスケール完成品の1/10~1/15以下の価格でしょう。
大変なナローの模型界になったものです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
規格が軽便なだけは、まさにその通りですね。
役目や施設は国鉄と変わらず立派なもので、そこに滑稽で愉快な光景が見れました。

見てくれは立派な軽便貨車、ところが国鉄の貨車と並ぶと分かるオモチャのような貨車。
こんな不効率な輸送をトラックに奪われるまでやって来たのですね。

katsu さんのコメント...

ED4012さん
地方私鉄にあった情景がどんどん消えて行ったのが、ちょうど高度成長期の日本でした。
この失ったものを鉄道模型などで再現すると、多くの人に共感してもらえる時代になったようです。
本日は明大鉄研OB会の写真展を見に行ってきましたが、
尾小屋の除雪風景など大量に撮られている方がいて驚きました。