案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年6月17日日曜日

仙北鉄道 瀬峰駅風景2

瀬峰駅 1964.8.4 (K)

1960年代、仙北の貨物輸送も次第にトラック輸送に移行されていた時代だったのでしょう。写真に国鉄貨車とトラックとのやり取りの風景が見える。
ところが昭和41年3月朝の貨物駅には軽便貨車が出払っていて、まだまだ軽便貨車の輸送が盛んに行われていた。
撮影 W:和田  K:風間 
先日の跨線橋から撮ったトラック積み下し場の2年前の風景。この後こんな建屋も撤去して次第にトラック積み下ろし場が拡大されて行った。1964.8.4 (W)

トラック積み下ろし場の脇に並んだ国鉄貨車と軽便貨車。 1964.8.4 (K) 

貨物の積み替えホームで、国鉄貨車と軽便貨車がホームを挟んで停車している。軽便にしてはかなり規模が大きい。1964.8.4 (W)

朝の貨物列車が仕立てられると、これら軽便貨車は全て出払ってしまった。築館行のバス道路でもある線路はしっかり現役貨物線として使われていたが、バスがきたら貨車をどうやってどかすのでしょうか? 1966.3.1 (K)

荷物車と貨物積み替えホーム。 1966.3.1 (K)

貨物積み替えホームではベルトコンベアが使われていた。 1966.3.1 (K)

1964.8.4 (W)
貨物留置線に待機している軽便貨車。既にトラック輸送が始まっていた時代に米や肥料以外に一体何を運んでいたのだろうか。 1964.8.4 (K)


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