1960年代、仙北の貨物輸送も次第にトラック輸送に移行されていた時代だったのでしょう。写真に国鉄貨車とトラックとのやり取りの風景が見える。
ところが昭和41年3月朝の貨物駅には軽便貨車が出払っていて、まだまだ軽便貨車の輸送が盛んに行われていた。
撮影 W:和田 K:風間
先日の跨線橋から撮ったトラック積み下し場の2年前の風景。この後こんな建屋も撤去して次第にトラック積み下ろし場が拡大されて行った。
1964.8.4 (W)
トラック積み下ろし場の脇に並んだ国鉄貨車と軽便貨車。 1964.8.4 (K)
貨物の積み替えホームで、国鉄貨車と軽便貨車がホームを挟んで停車している。軽便にしてはかなり規模が大きい。1964.8.4 (W)
朝の貨物列車が仕立てられると、これら軽便貨車は全て出払ってしまった。築館行のバス道路でもある線路はしっかり現役貨物線として使われていたが、バスがきたら貨車をどうやってどかすのでしょうか? 1966.3.1 (K)
荷物車と貨物積み替えホーム。 1966.3.1 (K)
貨物積み替えホームではベルトコンベアが使われていた。 1966.3.1 (K)
貨物留置線に待機している軽便貨車。既にトラック輸送が始まっていた時代に米や肥料以外に一体何を運んでいたのだろうか。 1964.8.4 (K)
2 件のコメント:
>既にトラック輸送が始まっていた時代に米や肥料以外に一体何を運んでいたのだろうか。
登米地区に天然スレート鉱山があり、家屋の屋根に使われる石盤として出荷があったそうです。
ソ300さん
コメントありがとうございます。
登米地区に天然スレート鉱山があったのですか。
ネットで多くの文献を見るとこができ、スレート鉱山の歴史の奥深さを知りました。
よく調べたら仙北鉄道の昭和40年度の貨物輸送は48300t中
米と科学肥料で90%を占めていて米が70%と圧倒的に多かったです。
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