案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年6月22日金曜日

雲仙鉄道 廃線跡1

温泉軽便鉄道と小浜温泉鉄道が雲仙鉄道となり、昭和13年まで愛野~雲仙小浜まで走っていた。昭和42年、諫早からバスに乗り、小浜温泉で島原行きバスに乗換えて島原へ向かった時の車窓がこの写真であった。愛野~小浜温泉間の廃線跡が道路となってはっきりと今の地図に残されている。

千々石

50年前の風景 千々石駅跡の手前 1967.3.3
昭和42年、諫早から島原鉄道バスで雲仙へ向かうときだったが、愛野で島原鉄道と別れて島原街道を進むと車窓に海岸沿いの美しい風景が開けた。この辺りに雲仙鉄道の廃線跡が見え、右手に進むと廃線跡は海岸に接近する。

この写真に小浜温泉鉄道の廃線跡が見えるのを、4年前にコメントで教えて戴いたのが車楽齋さんで、てっきり地元長崎の方と思っていたら、来週お目にかかる身近な人であった。

別府鉄道の1号機と2号機.雨宮1Bタンク機 別府機関区 1962.7.28

旧温泉鉄道を走っていた1号機は、1922年雨宮製作所製の1B形 27t級タンク機で4両製造された内の1両であった。2両が別府鉄道に行っている。「機関車の系譜図」3 臼井茂信著より。
こんな蒸機が客車を牽いて波穏やかな橘湾を眺めながら走っていたのだろう。

そして、こんな気動車も走っていた。元雲仙鉄道カハ22→ 日立電鉄サハ1101。
RM LIBRAY 第64巻「日立電鉄の75年」より。

島原街道から離れて海沿いの丘陵を行く201号線が雲仙鉄道の廃線跡。

やっと分かったこの場所、ここは小浜温泉の中心部? 1967.3.3
旧小浜鉄道の雲仙小浜駅跡がこの北方にある。

小浜から雲仙に向かうバスの車窓

8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

素晴らしいというより、まさに凄い記事です。昭和13(1938)年に廃止された雲仙鉄道。その痕跡をこれほど鮮明に見せて頂き、感謝申し上げます。私自身も島原鉄道にはたびたび訪れましたが、愛野駅周辺に同鉄道の痕跡は見つけ難く、幻の鉄道となっていました。さらにかつて温泉軽便鉄道と小浜地方鉄道の境界だった千々石駅跡も訪ねたかったのですが、時間の都合で断念しています。これからも幅広い内容の記事を期待しております。

ねこあたま さんのコメント...

今は廃止になりましたが、20年前には長崎県営バスの島原-雲仙-長崎行きのバスがありました。浜鉄道の駅のある場所とかを見たかったので乗ったことがあります。町の中心から偉く離れていた記憶があります。ここだけでなく
昔の地方鉄道で町の中心はおろか、当時の市街のはずれからかなり離れているとか、北恵那とか法勝寺のように国鉄の駅から数百メートル歩かないと始発駅にたどり着かないとこにあるのがありました。御多分にもれずこれも同様でしたが、島原半島の一周の計画も聞いたことがあるので、仮駅だったのかもしれません。、

伊豆之国 さんのコメント...

私が小浜温泉を訪れたのは、普賢岳の噴火の前年に島原を訪れたその5年後の正月休み。行きは諫早からバスで、バスターミナル近くにある老舗旅館に泊まり、翌朝は直通の観光バスで長崎市内に向かい、大浦天主堂・グラバー邸など市内観光してきています。どの駅なのかはっきり覚えてはいないのですが、雲仙鉄道の駅跡の石碑は確かにバスの車窓から見えた記憶はあります。あとで調べたら、小浜の駅は温泉街から遠く離れた手前側(北より)にあったようで、温泉の最寄り駅としてはあまり機能していなかったように思えます。
小浜の温泉街は(島原の中心市街もそうなのですが)手前の山に遮られて普賢岳が見えない場所にあり、見た限りでは噴火の影響はほとんどなかったように思えました。小浜温泉は西側が海に面し、夕日の眺めが売り物の大浴場や露天風呂を自慢にしている旅館が多いようですが、私が訪れたその日は生憎の悪天候で、絶景を見ることはできませんでした。

katsu さんのコメント...

皆さまコメントありがとうございました。
今回も気楽にアップしたら、アクセス数がうなぎ昇りに驚きました。

これをアップしたキッカケは地元の地方私鉄ファンが廃線跡(道路)をクルマで走った動画でした。
まるで雲仙鉄道の気動車の先頭に乗って峠を越える風景を見ているようでした。
このクルマで走った区間の道路が駅跡モニュメントやその他情報などから廃線跡に間違いないようで、
動画をリンク(承認済)して雲仙鉄道廃線跡の続編をアップしたいと思っています。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。
小浜温泉は昨年泊まりました。
島原鉄道から分岐するところはよく分かりませんが、途中トンネルも自動車用として現存しており、築堤も車で通れるところがあります。
駅のホームも綺麗に残っているところもあります。線路敷跡はコンディション良好でそのままレールが引けるのではないかと思うくらいに。
しかし逆に言うと廃止から80年になるのにそれだけ残ると言う事は当時からあまりは都市開発されていないと言う訳で、そういう意味では鉄道敷設は無理があったのかもしれないと思っています。

上でも書かれていますが、終点が肝心の小浜温泉から多少離れており、もう500メートル延長すれば利便性はうんと上がっただろうに・・という印象でした。
きっと当時より温泉旅館前に直接乗り付けるバスにお客さんをとられまくっていたのではないでしょうか。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
よく小浜温泉などに泊りましね。
確かに上千々石駅跡あたりから雲仙小浜に向けて、
トンネルや築堤が道路として残るのが動画で確認できました。
廃止してから80年後にこれだけ跡が残っているのも珍しいのではないでしょうか。
雲仙鉄道に乗って小浜温泉に行くには、終点雲仙小浜駅があまりにも小浜温泉から遠くて
ほんとうに不便な位置にあったのですね。

東葛6TWC11 さんのコメント...

1960年代車が佇んでいる情景は心惹かれる物があります

katsu さんのコメント...

六十郎荒井さん
車は鉄道以上に時代を感じさせますね。
1960年代前半までの鉄道写真にはドキリとする車が
写っていることがよくありました。