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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年6月14日木曜日

京福福井支社 長閑に走る丸窓電車


昭和39年、京福福井支社ではボウ付きの丸窓電車が盛んに活躍していたよき時代であった。田辺さんが撮った丸窓電車をさらに追ってみます。

昭和43年、私が訪問した時はこれら旧永平寺鉄道からの引継車である楕円窓デハ104~107(昭和5年製)の内、105 106 107に乗ることができ、更に古いデハ101(大正15年製)も現役の姿を永平寺で見ることができた。ただし全車パンタに交換されていた。これらは一部を残し翌年に廃車になったようである。

 丸窓電車デハ102が古典車サハ52を牽いて走る。 1964.10.4

長閑に走る丸窓電車。

デハ107+デハ104

永平寺線を行くデハ107。  本丸岡

8 件のコメント:

千葉大好きっ子 さんのコメント...

後ろに牽かれているダブルルーフの車両はホサハ52ですね。
阪急の前身である北大阪電気鉄道が1921年の開業時に梅鉢で製造した1形です。昇圧時に愛宕山鉄道に
移りましたが、戦時中の不要不急路線に指定され、廃止後に京福電気鉄道の福井支社に再譲渡されました。
1965年9月廃車。

katsu さんのコメント...

千葉大好きっ子さん
情報ありがとうございました。
あのダブルルーフの客車はそうでしたか。
余りに古い車両で調べても正体が分かりませんでした。
この時代、金石線にも似たような客車がいましたがもっと浅いダブルルーフでした。

Cedar さんのコメント...

この電車に出遭ったときは、もちろんパンタ化され、塗装も南海から来た大形車と同じ新塗装になっていました。古い電車を大切に使ってましたね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
あの新塗装で京福のイメージがすっかり消えてなくなりましたね。
京福のツートンカラーは今でも素晴らしいと思います。
京福ではないですが、最近のリバイバルカラーの中には見違えるようになるものがありますね。
こういうツートンカラーを踏襲してもらいたいものです。

esehoku さんのコメント...

私が京福を訪問したのはkatsu様に遅れる事 約25年、平成4年でした。
当然ですが、丸岡線と勝山〜京福大野間は既に無く、東古市の駅に遺構を留めるのみ。車両も元南海等に置き換えられ、塗色も例のクリーム色に茶帯でしたが…今となってはそれも貴重な思い出となりました。
福井の駅前のビジネスホテルに停泊したのですが、駅から聞こえてくる音楽ベル?が、ハープの音色のようで、なかなか品が良いと思いました。
ちなみに、金沢は琴の音色ですね。こういうのは、音楽ベルとして心地良いと思いますが、他に目を向けると、何処もかしこも、安っぽい電子音のベルだらけになったのに閉口するのは私だけでしょうか?

西宮後 さんのコメント...

京福の緑と黄色がかったクリームのツートンは写真によって黄色が強かったり赤っぽかったりで模型で塗装するときに散々悩んだことがあります。
現在も除雪、イベント用に残るえちぜん鉄道テキ522の尾灯は茶色塗装のハゲたところから緑の塗装が見えてます。
どうやら当時の電車の尾灯が転用され生き残ったようです。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
元南海の電車で、すっかりイメージを変えてしまった京福。
やはり永平寺線はあの電車でないと、と思うのは古い人間だけかも知れません。
ファンの世代によって好む電車も変って来るのでしょう。

katsu さんのコメント...

西宮後さん
確かに写真のカラーはあてになりませんね。
京福のツートンカラーは鮮明に私の記憶に残っていますが、それが正確かは分かりません。
模型で京福のツートンカラーはどんなに塗っても見栄えするカラーリングだと思います。
当時の京福、北陸、淡路、三重など、なんと素晴らしいカラーリーングなんでしょう。