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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年6月11日月曜日

元浅野川線のポール電車

先日、西宮後さんからコメント戴いた元浅野川線の楕円窓付モハ1601とはこれですね。
浅野川線→金石線→小松線と転籍した注目の電車を思い出しました。

私が金石線を訪問した1964年12月は、既に転籍していたのか1601は見掛けず、その1年前、金石線中橋の車庫でポールを付けた1601を田辺さんが撮っていました。
この1601、私は写真でしか見たことがなく特に小松線でトレーラになった最後の姿が強烈でした。

昭和30年代後半、北陸の私鉄各線では実に興味深い電車が次々と姿を変え消えて行った時代でした。ほんの1年の差がいかいに大きいことか。

撮影:田辺多知夫
 元浅野川線のポール電車モハ1601(昭和初期の日車製)   金石線中橋車庫 1963.7.12

京福永平寺線 デハ107(昭和初期の日車製)  パンタ化以前のボウの姿が貴重です。 1964.10.4


デハ105(昭和初期の日車製)  金津 1964.10.4
こちらの永平寺線107や105は浅野川線の1601と風貌や丸窓がよく似ています。
これらも私が訪問した時はボウがパンタ化されていました。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

中橋・金津とも「間に合ってない」のが残念です、この形は北鉄・福鉄・京福に同形車がいていわば「北陸形」といえますね。

西宮後 さんのコメント...

コメントしたモハ1601を取り上げていただきありがとうございます。
同じような車体でも北鉄、京福の各社風味に味付けされて個性が出るのが面白いですね。
北鉄自社オリジナルの車両は多くは写真のモハ1601のように尾灯を車体裾に付けており子供の頃は「バランスが悪くてダサいな~」(失礼)などと思ってましたが今では無性に懐かしい顔です。
尾灯の球が切れた際に交換し易いといった利点でもあったのかな?と思いますが未だに謎です。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
実に魅力的な電車で、京福はカラーリングが素晴らしかったですね。
昔、16番で京福のこのタイプを作った時のツートンカラーが忘れられません。
この模型の譲渡先がこの写真を撮った友人(故人)でした。

katsu さんのコメント...

西宮後さん
同じような電車でも各社個性があるのですね。
浅野川線の尾灯には気が付きませんでした。
中々個性溢れて魅力的と思います。