案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2026年6月23日火曜日

月山と三山電車

機芸出版社から出版した「地方私鉄 失われた情景」の三山線でモノクロにして使った一枚です。
このネガカラー画像は不鮮明で色がよく分からない画像。AIでカラー鮮明化してみると白い月山がハッキリしてきた。ボケた果樹園の花のカタチも色もよく分かる。

モノクロ画像→カラー化の場合と違って、AIが勝手に造形することはなく、元のカラー画像鮮明化だけなのが安心できる。


三山線.羽前高松-新田 1971.5.6

左手が羽前高松方面で電車の背後に月山が入るのは、この羽前高松-新田間しかない。



 この位置で撮ると背後に朝日連峰が入る.1971.5.3
よくあるベタな色。

山形交通 三山線
(AIによるカラー画像の鮮明化)

2023年9月7日木曜日

三山線 リニューアル(Usuiさんの写真追加)


奥羽本線のC57客列車と並ぶ仙山線の素晴らしきED17。
ここ山形で国鉄左沢線に乗換えて羽前高松へ向かかった。
撮影:1966.3.6

三山線を初めて訪問したのは1966年の残雪がある3月初めだった。
東北私鉄めぐりの全てを終え、秋田で奥羽本線の夜行列車 急行「第2津軽」で上野に向かったものの、郡山で朝を迎えるとまた欲が出てきた。奥羽本線を北へ引き返し高畠線が出ている糠ノ目で下車した。郡山からBOX席で一緒だった若い乗客と糠ノ目までどんな会話だったかが思い出せない。

高畠線を撮り終えるとC57の列車に乗って冬景色の中を更に北上、山形で国鉄左沢線に乗換え羽前高松に到着した頃は心細い夕刻であった。国鉄ローカル線から更に奥へ入る三山線は一体どんな路線なのか、しかしこの時は羽前高松近辺の撮影で体力の限界、この先にどんな沿線があるのかは次回の訪問とした。山形駅に引き返しまた夜行列車の急行「出羽」に乗って上野まで爆睡、東北の旅は終わりとなった。帰還して数日が過ぎると東京では地下鉄東西線が中野まで開通したそんな時代であった。

左沢線羽前高松駅のホームの片隅に「三山電車のりば」の看板を掲げて電車が待っていた。けっこう乗換客がいて電車(モハ110形)に向かっていた。 羽前高松


三山線羽前高松のハイライトとなる駅舎。同好ファンが撮影したこの駅舎の改札側と入口側と内部の写真には驚いた。私が撮った羽前高松の駅舎はこの1点のみ。

では、その感動的な駅舎を撮影したUsuiさんに写真使用許可を戴きましたので、素晴らしい情景写真2点を紹介します。   写真2点の撮影:Usuiさん 1974年7月
三山線の改札口側は何とこんなデザインの駅舎で透明ガラスの窓口が見えます。その先に「三山電車のりば」があり、その先の留置線に電車が休んでいる。

三山線の改札口の向こうにあるのが国鉄左沢線の駅舎。なぜわざわざ三山線の駅舎まで必要なのか? と思ったが三山線駅舎の横に掲げた表示を読むと、
"電車にお乗りかえの方で乗車券をお持ちでない方は出札口でお求めの上ご乗車下さい"
なるほど、ホームに面したガラス窓口は左沢線からの乗換え客がここで三山線の乗車券を買い求める出札口だった。
 
果樹園を見て左にカーブすると羽前高松←に到着する。そこへやって来たモハ106


小さな電車モハ106が次の左沢線列車を待つ。


羽前高松を発車すると電車は工場の脇を進み右へカーブして方向を変え間沢へ向かった。
中央の線路は留置線で、左に分かれる線路は左沢線に接続する。



2020年4月17日金曜日

鉄道模型趣味誌の連載記事 第11回

今回のTMS 5月号は「月山と三山(さんざん)電車」です。

5月の山形交通三山線と言えば春スキーの月山と桃園の花。出羽三山の一つ「月山」がキーポイントになります。そこで使ったのがこの1枚の月山の写真です。

たった1枚の小さな写真で月山の確定になんと手間どったことか。
山のカタチと白銀が月山と思えるが、三山線の北側から羽前高松行を撮って、ほんとうに月山が電車の背後に写るのか? Googleアースやストリートビューで様々検討した結果でも確定せず、結局、地元市役所に問い合わせてやっと月山が確定できた次第。


夏まで雪が残る月山の麓を行くモハ111+モハ106。1971.5.5
←羽前高松 間沢→


TMS 5月号

以下は未掲載の画像
初春の羽前高松 1966.3.6

 初春の羽前高松  1966.3.6

2019年3月29日金曜日

月山と三山線(3) リニューアル

公開日2019.3.29

三山線を初めて訪問したのは1966年まだ残雪がある3月初めだった。
東北私鉄めぐりの全てを終え、秋田で奥羽本線の夜行列車 急行「第2津軽」で上野に向かったものの、郡山で朝を迎えると欲が出てきてまた奥羽本線を北へ引き返し高畠線が出ている糠ノ目で下車した。郡山からBOX席で一緒だった若い乗客と糠ノ目まで話をしたがどんな会話だったかが思い出せない。

先日、ブログにアップした高畠線を撮り終えるとC57の列車に乗って更に北上、山形で国鉄左沢線に乗換え羽前高松に到着したのは夕方であった。国鉄ローカル線の羽前高松から出ている三山線がどんな路線なのか、旅の最後のオマケに訪問したのだった。

この時は羽前高松近辺での撮影が体力の限界、この先に一体どんな街があるのかは次回の訪問とした。山形に引き返してまた夜行列車の急行「出羽」に乗って上野まで爆睡、旅は終わりとなった。帰還して何日か過ぎると東京では地下鉄東西線が中野まで開通した、そんな時代であった。
  
撮影:1966.3.6
奥羽本線の蒸機列車で北上する。

奥羽本線のC57客列車と並ぶ仙山線の素晴らしきED17。山形
ここで国鉄左沢線に乗換えて羽前高松へ向かう。

三山線名物の駅舎 羽前高松駅 
左沢線の羽前高松で降りると味わい深い小さな駅舎があった。ここから月山の入口 間沢まで、月山の山並みを背に果樹園の中をのんびり走るが、始めて訪問した3月初旬はまだ寒々しい冬の光景であった。

左沢線気動車から降りてきた乗換客。 羽前高松

左沢線羽前高松駅のホームの片隅に「三山電車のりば」の看板を掲げて電車が待っていた。けっこう乗換客がいて電車(モハ110形)に向かっていた。  羽前高松

やがてやって来た小さな電車モハ106。

残雪がある果樹園の脇を間沢へ向かって走り去って行った。 羽前高松


地下鉄東西線 中野- 高田馬場間が開通した日の中野駅。1966.3.16
4番線の行先方面が竹橋までで大手町は未開通で消してある。 
中野で見たEF11. 

2019年3月26日火曜日

月山と三山線(2) リニューアル

三山線の終点間沢の駅前食堂でラーメンをすすり、月山へ向かった。
間沢から少し進むと舗装路が終わり谷川に沿った山道に入る。それほど狭くもないごく普通の山道を進むと1時間ほどで一面に視界が開け志津の高原に出た。急にひんやりとした冷気を感じる広漠とした原野であった。
スキー板を載せた東京ナンバーのクルマが何台も止まっている志津の旅館街をぬけ、月山の手前の姥ヶ岳へ登り始めるところに国民宿舎「月山壮」があった。しゃれたロッジ風の宿舎でここで友人と合流し宿泊した。

この15年くらい後に家族と月山へ来た時は新幹線とバスで一気に志津に到着し、三山線もとっくの昔に消え、志津方面へ向かう立派な道路が何本も開通し、あの時に信仰の山「月山」へ向かった雰囲気は全く消えていた。

5月連休中の国民宿舎「月山壮」 1971.5.5

写真の月山壮に泊まった翌日は一日雨となり、ここにもう一泊し翌日羽前高松へ下った。この日も陽が差さず、やる気なしで曇天の寒河江川鉄橋で撮ったのがこの写真であった。

鉄橋渡って踏切の先の新田に到着する。 1971.5.5
パンタの位置から羽前高松行の電車と分かる。

新田-白岩
白岩過ぎて鉄橋を渡ると新田に到着する羽前高松行.

新田-白岩 最上川支流の寒河江川を渡り羽前高松へ向かう。

地方私鉄めぐりの記録

2019年3月20日水曜日

月山と三山線(1) リニューアル

山形から出ている国鉄の行き止まり非電化ローカル線から出ていた不思議な電化私鉄線、と先日コメントがありました山形交通三山線(1974年11月廃止)について、新たに画像リサイズしてリニューアル版とします。

3月18日にNHKBSで放送されたにっぽん百名山「月山」

1971年5月に二回目の訪問をした三山線について私鉄めぐりノートをたどってみました。
国鉄ローカル線左沢線の羽前高松から間沢まで国道112号に沿って走っていた三山線。

桜満開の左沢から果樹園を抜けて細い砂利道を下ると、山形から月山の梺を通り鶴岡へ抜ける国道112号に出る。この国道に沿って走る三山線は桃畑の向うに朝日連峰を望み、真っ白な月山に抱かれて走るような素晴らしい沿線風景があった。

朝日連峰を望む三山線の沿線

月山を背に桃畑を行く三山線 1971.5.3

三山線の終点間沢(西村山郡西川町)はバスターミナルとなっていて典型的な私鉄終着駅。志津から下って来たバスに月山春スキー客が数人いた。

国鉄ローカル線から更に小私鉄で繋がれたこの間沢は大変な奥地という印象を抱いていたのだが、山形市西方にある寒河江、羽前高松、間沢などは山形市と道路で結ばれ山形近郊の感じで開けた街であった。

間沢は鉄道交通だけ考えると大変な奥地だが、昔から六十里越街道沿いに点在する街として発展してきたのだろう。奥地は当てはまらず、ここ数年のクルマ普及で山形に出るのも便利、ここでも鉄道の時代は終わったを思い知らされた。

春夏スキーのメッカ月山へ向かスキー客が山形から左沢線、三山線と乗り継いで更に間沢からバスに乗り継いでいた時代は終わり、この頃は既にマイカーにスキー載せて月山へ向かう時代になっていた。「歓迎 月山夏スキー」のバス案内板は三山線良き時代の名残りか。 1971.5.3

ゴールデンウィークなのに客も少ない間沢駅ではホームが子供たちの遊び場に

モハ110形  貨物ホームにはマイカーが並ぶ

廃止3年前の静かな終着駅間沢に休むモハ107

最古参のモハ101

三山線によく似合っていたモハ106

2012年7月24日火曜日

三山線の終着駅 間沢

2012.7.24 公開

月山へ向かう途中に寄った間沢駅の風景。


モハ107   1971.05.03


モハ105→クハ化 これとは別に同形のクハ11がいる.
元西武多摩湖線の小型車101/1111形 2両が車体延長3扉化されて入線していた。


モハ101


電車が発車すると駅のホームは子供達の遊び場に.

2012年7月21日土曜日

最上川を北上する 左沢

米坂線の今泉を後にして国鉄長井線に沿って北上すると荒砥が終点となり、更に最上川沿いに一路月山へ向けて北上を続けると、山形から26Kmほど北西に引っ込んだ国鉄ローカル左沢線の終点左沢に到着した。左沢の5月は丁度花の満開シーズンで春の雪山に囲まれ最上川うねる風光明媚な素晴らしい土地であった。


蒸機の煙が立ち上るローカル風情溢れる左沢駅  1971.05.03


朝日連峰を背景にC11の貨物列車が左沢を発車する.


桜と雪山を眺め、素晴らしき東北5月のお花見




左沢構内のC11

月山へ向かう道は左沢線の羽前高松から出ている山形交通三山線に沿って走る.


左沢から山形交通三山線は近い.夕暮れ時の寒河江川を渡る三山線電車 1971.05.03