案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2021年4月19日月曜日

のどかな時代の流山駅

4月20日発売のTMS 5月号
失われた情景 第23回は「のどかな時代の流山駅」流山電気鉄道です。

1962年頃の流山駅には貨物駅があり味醂工場へ貨物引込線が延びていた。流山駅から味醂の貨物輸送が行われていたのどかな時代があった。当時の流山駅の魅力は貨物駅の引込線、目前に迫る自然豊かな台地などにあった。




マンジョウ本みりんと小さな木造貨車ワフ31。1962年

2021年2月11日木曜日

みりんと流山電気鉄道(田辺)

田辺さんが撮った昭和39(1964)年の流山線風景で、この時代の沿線には春の季節感あふれる田園風景があった。改称激しい今の流鉄はこの時「流山電気鉄道」であった(1967年流山電鉄に改称)

流山の「万上みりん」輸送がトラック輸送に切替えられる直前で「万上みりん」を鉄道輸送していた時代だったようだ(万上みりん工場の引込線は1966年撤去された)。
みりん以外の貨物輸送は1976年まで続いた。


撮影:1964.4.23 田辺多知夫氏

春の田園風景を行く混合列車モハ100形+ワ11。1964.4.23
みりん輸送に使われたと思われる小型木造貨車ワ11(1964年10月廃車)とワフ31(1965年10月廃車)はこの直後に廃車となった。 



この時代に主力だったモハ100形(旧南武鉄道)4両は1979年に全廃となった。

自然豊かな流山駅。
駅の背後に迫る台地に無数の樹木があったがその後樹木の全てが消えた。

流山駅の一端に貨物駅とみりん工場の引込線み線があった。小型木造貨車ワフ31が消えた翌1966年に引込み線が撤去された。この写真を撮った時のみりん工場は野田醤油醸造㈱であった。

万上みりん工場の経緯
1917年 万上味醂㈱を設立
1925年 野田醤油醸造㈱が万上味醂㈱と日本醤油株式㈱を合併
1964年10月 キッコーマン醤油㈱に改称
2006年 みりん部門を流山キッコーマン㈱に分社。
現在 流山キッコーマン㈱で万上みりんを製造している。

2020年7月5日日曜日

流山の「万上みりん」

先日の流山駅の貨物線で、当時の貨物線(野田醤油工場)で運んでいたのは醤油ではなく「万上みりん」の製品や原材料等だったようだ。流山の工場は当時野田醤油(株)で今はキッコーマンのグループ会社流山キッコーマン(株)になって「万上みりん」を作り続けている。
(流山の街に詳しいレイさんの情報より)

キッコーマン醤油(販売者:キッコーマン食品(株))
と「万上みりん」(製造者:流山キッコーマン(株))
マンジョウ 本みりんのラベル、中々よいデザインですね。

2020年6月29日月曜日

流山駅の貨物線2

1962年当時の流山駅において、
万上みりんの野田醤油(現:流山キッコーマン)工場へ延びていた貨物線と貨物駅はほぼこれで間違いないと思われます。皆さまからの情報提供ありがとうございました。





1960年当時の貨物駅の上屋やホームは、RMライブラリー(上)にあった貨物駅の写真2点(流鉄提供)によりやっと判明した。

RMライブラリー(下) 表紙のキハ32(撮影:1934年)のダルマが電車庫の奥に置いてありました。 1963.3.31

2020年6月26日金曜日

流山駅の貨物線1

58年前の流山鉄道流山駅にあった貨物ホームの写真はこの1枚のみ。
ここからキッコーマン醤油の工場に貨物線が延びていて、今も道路のカーブに貨物線の跡が残っている。当時のメモにあった「まんじょう」とは万上味醂の会社「万上野田醤油」であった。
当時、メモした貨物ホームの構内配線図とネットにある写真や廃線跡と異なるのでもう少し調べることにした。

推定仮図その2(不確定箇所があります)

Ogura様に1961年の航空写真を送って戴いたので、醤油工場に延びる貨物線と貨物駅の構内配線図を推定してみました。流山駅の本線構内配線はその後の変更でかなり変わっているようです。


流山駅の貨物ホームにいた魅力的な貨車ワフ31。ここのポイントから右方向に醤油工場まで貨物線が延びていた。流山 1962.3.31

流山駅前に貨物線線路の端が見える。1963.3.31

流山駅と奥にある電車庫。1962.3.31

流山駅の背後にあった丘陵地帯は子供たちの遊び場だった。 1963.3.31

馬橋にいた小さなDB1。1962.3.31

2016年7月10日日曜日

昭和38年 あの頃の流山電気鉄道

以前、本ブログで遠い昔の流山電鉄を紹介したことがありましたが、↓1枚目の写真に縁が深い方からコメント戴きました。昔、ここに住まいがあって中央の小屋のフロ場に入っていたそうです。そういえば私も父が務めていた職場のフロによく入りに行った記憶があります。

撮影 1963.3.31
 崖の下の流山駅奥の佇まい. 

この小屋がフロ場でしたか!  給水タンクの水を小屋に引いて従業員用フロ場としたのでしょうか. 少し前までボールドウィンのサドルタンクが使っていた給水塔でしょう。
そして奥に小さな電車庫、まるで模型のような世界。


けだるい午後の日差しのもと、流山駅の長閑なひと時.
まだ携帯などない時代、女学生達?は何をしていたのでしょうか.



以下も再掲ですが懐かしき流山電鉄の風景を大きい画像で。言い尽くされた車両の型式や経歴などはどうでもよく、この時代の沿線風景が懐かしいものです。

右手に醤油工場に行く引き込み線があった.

沿線は自然豊かで長閑な田園風景だった.

この頃の馬橋駅にはローカル私鉄のりかえ駅の風情が溢れていた.

2013年2月16日土曜日

流山電気鉄道の車両

昭和38年頃の流山電気鉄道の風景を2011年2月に紹介しましたが、今回は車両編をアップします。
この頃の車両は元南武鉄道のモハ100形(101,102,103,105)が主力の時代であった。

流山駅のモハ101   1963.03.31

お椀型ベンチレータのモハ103   馬橋 1962年3月
美しいボールドウィン台車

モハ105  流山 1962年3月

モハ102  馬橋  1963.03.31


モハ102  流山 1962年3月

西武クハ1215(元武蔵野鉄道サハ)を1963年に譲受したクハ52。 流山 1963.03.31

モハ100形と組んだクハ51(元豊川鉄道クハ60形) 流山 1962年3月

車庫の奥にあった元ガソリンカーのサハ31 1963.03.31

元ガソリンカーのサハ32 1963.03.31

貨車を従えた混合列車.この頃は流山から「万上みりん」工場への引込線があった.1963.03.31

2011年2月6日日曜日

流山電気鉄道

1962(S37)年3月撮影の竜ヶ崎線のネガをスキャンしていると、なんとも奇麗な貨車が出てきました。それがこの流山電気鉄道ワフ31です。この貨車の素晴らしさに惹かれて、昭和38年の流山電気鉄道をスキャンしてみました。

流山電鉄ワフ31  流山 1962年3月
昭和25年自社製のワフ。車輪径が大きく見えるのは車体が小さいせいであろう。


流山の車庫  1963.3.31
車庫の奥には元単車ガソリンカーのサハ31やサハ32(廃車体)を見る事ができた。


背後に林が拡がる静かな流山駅

相変わらずのんびりとモハ100形(旧南武鉄道)が走っていた。 モハ101 


クハ52+モハ102

馬橋駅

2010年5月9日日曜日

東京近郊の小私鉄、流山電気鉄道

常磐線馬橋から流山まで、今も活躍している流山電気鉄道。
35mmカメラを買ってもらい始めて撮ったのがこの鉄道だった。
馬橋は東京の近場とは言え、えらい遠くまで来た感じがした。
ここでも駅の前はどこまでも続く田畑、今とは全く違う光景だ。

馬橋駅  モハ103  1962年3月

終点の流山駅 モハ105  モハ100形が主力の時代。

馬橋駅で貨物入替えに使われていた森製作所製DB1。
駅の向こうは一面の田畑で何もない。