案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年2月11日木曜日

みりんと流山電気鉄道

田辺さんが撮った昭和39(1964)年の流山線風景で、この時代の沿線には春の季節感あふれる田園風景があった。改称激しい今の流鉄はこの時「流山電気鉄道」であった(1967年流山電鉄に改称)

流山の「万上みりん」輸送がトラック輸送に切替えられる直前で「万上みりん」を鉄道輸送していた時代だったようだ(万上みりん工場の引込線は1966年撤去された)。
みりん以外の貨物輸送は1976年まで続いた。


撮影:1964.4.23 田辺多知夫氏

春の田園風景を行く混合列車モハ100形+ワ11。1964.4.23
みりん輸送に使われたと思われる小型木造貨車ワ11(1964年10月廃車)とワフ31(1965年10月廃車)はこの直後に廃車となった。 



この時代に主力だったモハ100形(旧南武鉄道)4両は1979年に全廃となった。

自然豊かな流山駅。
駅の背後に迫る台地に無数の樹木があったがその後樹木の全てが消えた。

流山駅の一端に貨物駅とみりん工場の引込線み線があった。小型木造貨車ワフ31が消えた翌1966年に引込み線が撤去された。この写真を撮った時のみりん工場は野田醤油醸造㈱であった。

万上みりん工場の経緯
1917年 万上味醂㈱を設立
1925年 野田醤油醸造㈱が万上味醂㈱と日本醤油株式㈱を合併
1964年10月 キッコーマン醤油㈱に改称
2006年 みりん部門を流山キッコーマン㈱に分社。
現在 流山キッコーマン㈱で万上みりんを製造している。

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

流山の構内写真いいですね!この少しあとに、亡父が弟を連れて行って撮った写真はほぼこんな雰囲気です、電車も南武の古強者、気動車の廃車体も撮っています。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
父上もこの貨物駅を撮ったことでしょう。
みりん輸送はこの後すぐにトラック輸送に代わってしまったのでしょう。

味醂の使い方も知らなかった私はスーパーで流山キッコーマンの「万上みりん」を買ってきて料理で便利に使うようになりました。
あの時代の流山線は「みりん」輸送で貨車や貨物施設がよい味を出していたのに気付かず大失敗。
私にとって長いあいだこの貨物施設や引込み線は謎でした。
流山駅の上の台地は大変な変貌のようで現状を観察してみたいものです。