案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年4月30日火曜日

福島交通 飯坂温泉行きの電車4

前々回にカラーでアップした好ましい小型電車が1205で、同形の1204と供に旧カラーリングで在籍していました。

撮影:1966.12.31

 軌道線の1114の妻面丸みを彷彿させるモハ1205  曽根田 

最も小型(全長12m級)のモハ1204と1205 曽根田 


 広窓で15m級のモハ1203。 飯坂温泉 
すぐ下は摺上川の流れ

モハ1209と1208で右手に旧カラーのモハ1211が見える。 曽根田 

モハ1208と1209で向こうにモハ1205が見える。 曽根田 

モハ1208  曽根田 

モハ1209  曽根田 


ラッシュ時は旧型車に挟まれて活躍したサハ3016(S38年新製2両が増備) 飯坂温泉
向こうにいるは広窓モハ1203。
モハやサハの新製車を増備して態勢整えたものの、この直後にマイカーの時代を迎えた。

2019年4月28日日曜日

福島交通 飯坂温泉行きの電車3

「飯坂温泉行きの電車1」をアップしたのは2011年でした。
あれから8年、もう一度をスキャンをやり直してシリーズとして1~繋げてみました。
一部再掲の画像がありますが全てスキャンをやり直してあります。

 撮影:1966.12.31
福島~飯坂温泉のほぼ中間に位置する「いずみ」駅

駅名不明 笹谷駅

擦上川 小川 松川を渡る。下流に軌道線のさいわい橋がある。

平凡な沿線風景

大晦日で人が行き交う道路と飯坂温泉に向かう電車。この年に新製したモハ5114

飯坂温泉に到着する。

温泉客で賑わう飯坂温泉駅。 S38年新製のデハ5012+5013 1966.12.31

2年後の飯坂温泉 1968.12.15 
川のフチにあった飯坂温泉の駅。 広窓のモハ1202 

 飯坂温泉街と駅

三つ目⇒二つ目になったこんな旧型車がまだ活躍していた。

1969(昭和44)正月のクルマはこんなだった。クルマ社会の幕開け時代。
1967年にサラリーマンになり、念願のペンタSP(55mm)を手に入れ撮り始めた頃が上の1968年の飯坂温泉駅であった。そしてその翌年、私も中古カローラに乗り始め世は正にマイカー時代、すっかりクルマに夢中になってしまい鉄道撮影からは遠ざかる一方で、仕事も忙しくなり鉄道撮影とは無縁になってしまった。


2019年4月23日火曜日

福島交通 飯坂温泉行きの電車2

福島交通は軌道線の数々の名場面が有名ですが、その陰に隠れて地味なのが福島と飯坂温泉を結ぶ飯坂線。1964年に田辺さんが撮影したのどかな夏の風景です。

撮影:田辺多知夫 1964.7.27
この1964年夏の電車はオーソドックスな地方私鉄電車で好ましい風貌であった。窓は全開でいかにも夏らしい。このモハ1211を2年後に見た時はヘッドライト脇に2灯が追加されおかしな顔つきになっていた。

S38年新製の2扉連接車 デハ5012+5013   

何の変哲もない風景を行くモハ1208。

クルマのいない県道と果樹園を見て走るモハ1208。この2年後、1208も同様にヘッドライト脇に2灯が追加され新カラーリングになっていた。下の写真

2年後に私が訪ねた時のモハ1209と1208 曽根田 1966.12.31 撮影:風間
不細工な顔つきになっていた。

モハ1205の旧カラーリング 曽根田 1966.12.31
飯坂線にまるで模型のような電車がいた時代.

以下は田辺さんの番外編

飯坂線の終点飯坂温泉の街の片隅にあった湯野町から出ていた軌道線.
茂みの小川と木立とトロリーラインの組合せが堪らない.


2019年4月22日月曜日

昔のTMSにあった実物記事

今回集めた古いTMS4冊から、ある時代まで続いた楽しかった地方私鉄記事2編を紹介してみます。シリーズ名がいろいろあったが「電車を訪ねて」が一番多かったようです。

何が楽しかったか、それは模型を軸足にした実物記事になっていること。
・記事はいつも図面入りで、車両竣功図よりずっと緻密で正確な図面。
・楽しいエピソードや情景など含む話で、鉄道ビク誌の硬い私鉄車両めぐりとは異なる。
・車両写真だけでなく大きい情景写真が配置されている。
・とり上げた対象が良き時代の鉄道であった。
    ↓
模型を作りたくなってくる記事
私が小学生の頃こんな記事を一体何度読んだことだろうか。

 地方私鉄を訪ねて 倉敷交通  TMS No.93 1956年4月号 

電車を訪ねて第50回 秋保電気鉄道  TMS No.86 1955年9月号

2019年4月20日土曜日

鉄道模型趣味 2019年5月号 No.928

私も買ってきました、今日発売の鉄道模型趣味 5月号を。
買ったのは数十年ぶりかも知れません。
巻頭の「TMS新体制について」で今後の取り組みが述べられていました。
名取紀之さんが新編集長に就任したことが多く人の注目であったと思います。
私も驚きました。
先日はここ1~2年のTMSをサンプルに1冊買ってみようとバックナンバーをパラパラと捲ってみたが買ってみようという号はなかった。
これが今後どう変化していくのか、昔のような楽しい記事を期待しています。
そして機芸出版社をベースに名取さんのブログ「編集長敬白」をまた再開してもらいたいものです。


この5月号の広告に掲載されていた発行・SHIN企画 /発売・機芸出版社の「沼尻鉄道の記録」を手にとってみると、沼尻鉄道のインパクトを差引いても本のインパクトが凄かった。書泉で積んであるのを見て買わずにはいられなくなった。

今の模型各誌の実物写真とは違って、こういう写真と記事の実物紹介が昔のTMSの魅力の一つであった。SHIN企画の橋本真さんは昔のTMSの魅力を受け継いでいるだろう。

沼尻鉄道の記録 発行・SHIN企画
模型を作らなくても多くのストラクチャーや鉄道の日常の写真で沼尻鉄道を楽しめる。
実物誌ではあまり取上げないこのような「模型を作りたくなる写真と記事」がかってのTMS誌らしさの一つだった。
昔、模型作らずもTMSを読んで楽しむ模型ファンのことを安楽マニアと呼んでいた。読んで楽しい模型誌TMSを追及し安楽マニアも取り込んで欲しいものである。

2019年4月19日金曜日

話題の鉄道模型趣味誌

今、話題の鉄道模型趣味誌、5月号が明日(20日)発売なんですね。
もう何十年も買っていない鉄道模型趣味誌、5月号で新体制スタートのアナウスを読んでみたいものです。新スタートについてネットでは何故か公式にアナウスされていないようです。

何年か前に古本屋行きとなった兄の鉄道模型趣味1号~100号代と、ダンボール箱詰めした200号以降。せめて1~100号くらいまでは残しておくべきであった。最近は古書店で鉄雑誌は引き取らなくなった。

1955~1957年発行の4冊
吉村光夫さんO番山手急行電鉄を読みたくなって、先日は古書店から4冊を買い戻してきました。吊り掛けモータの台車の記事を書こうと思ったらCedarさんのブログで同じことをやっていたのですね。

0番DC2線式の山手急行電鉄に登場した急行用新車モハ300形、16番DCモータを各台車内に装備してスパーギヤーで電動。   TMS93号 吉村光夫さんの記事


後日、この時代の鉄道模型趣味誌で幾つか実物記事の面白さに触れてみたいと思っています。

2019年4月13日土曜日

中島飛行機専用鉄道の跡

青梅街道が西武新宿線と田無で立体交差する手前にひっそりとある小路。青梅街道を田無に向かって歩いているとつい気になってしまうこの小路。先日もまたこの中島飛行機専用鉄道の跡を歩いてみた。武蔵野市の中島飛行機エンジン工場と田無谷戸の鋳鍛工場を結ぶナロー専用鉄道。一体どんな車両が走っていたのだろうか。

西武新宿線と青梅街道の立体交差 田無  2019年4月

 立体交差の手前にひっそりとある小路

奥へ進むと新宿線の下を小さなトンネルで抜ける

かっては武蔵野市から西東京市にかけて軍需工場が多く、戦時中は爆撃や集中砲火を浴びた悲惨かな時代があったそうだ。跡地の今は静かな住宅地や公園になり、そんな昔を忘れてしまうほんとうに平和な時代になったものです。
中島飛行機武蔵野工場は有名な誉や栄エンジンを製造したところですね。

田無駅 2018年4月

2019年4月11日木曜日

久しぶりに撮った電車

今日はあまりにも青空が綺麗なのでスマホ(iPhone)で珍しく電車を撮ってみました。
スマホには光学式ズームがなくて電車は撮りにくいけど、どうせ小さく写す電車だからスマホの広角で十分、ということで撮ってみました。
そして鮮明度はやはり天候次第。

2019.4.11
 西太子堂駅

線路のある風景 西太子堂 - 若林

客がいない気の抜けた風景 西太子堂

乗客で活気溢れる三軒茶屋駅


ところでデジ一眼のズームで撮るのをやめたのは、西武101系10連の運用が消えお別れ運転があった2012年12月であった。あれから早や6年が経っていた。
最後の101系撮影