案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2018年4月9日月曜日

昭和38年6月 屋代線

長野電鉄屋代線 松代駅 1963年6月

1963年6月に銚子電鉄を訪問したハーフサイズ・ネガをスキャンしていたらこんな1枚が出てきました。あの頃の屋代線はこんなモハニが走っていたのか。母に貸したオリンパスペンに写っていた1枚。

2015年10月8日木曜日

昭和42年 良き時代の長野電鉄3

小田急やJRの特急車両、東急や営団のステンレスカーなどの中古車が入線してくるずっと以前の昭和42年、古豪電車や自社発注の美しい電車が活躍していた。「OSカー」0系も入線したばかりピカピカの電車であった。現在と比べるといかにも私鉄らしい華やかで美しい時代の長野電鉄であった。

撮影:1967.02.22  田辺多知夫

 2000系  夜間瀬 


2000系 須坂


クハ1550形 須坂

1100系 夜間瀬 


クハ1550形 須坂

「OSカー」0系 須坂

ED5001  須坂

ED5002

2015年10月2日金曜日

昭和42年 良き時代の長野電鉄2

この時代の長野電鉄で活躍していたのは古豪電車だけではないのですが、好みの電車からアップしてみます。時代とともに改番が続いた形式番号調べは後回しとして。

撮影:1967.02.22  田辺多知夫

モハニではなかったモハ100形.信州長野

 モハ300形(302)   信州長野

モハ300形?

モハ100形?

モハ300形

モハニ510形(512)  須坂

モハニ210形(211)と並んだ昭和41年登場の「OSカー」0系.  須坂

 モハニも130形、200形、250形、210形、510形、530形といろいろ

2015年9月29日火曜日

昭和42年 良き時代の長野電鉄1

私が長野電鉄を片手間に訪問したのは1970(昭和45)年で、その時は長野電鉄の古豪電車が走る魅力が僅かに残されていました。その3年前の昭和42年に訪問した田辺さんのスキャン画像を見ると昭和45年とは違って良き時代の長野電鉄だったようです。この時代の僅か3年の違いは大きい。

昭和42年春で鉄仲間は解散し、私はもう地方へ撮りに行くことも滅多になくなったが、その後、田辺さんは昭和44年ごろまで地方を同じペースで撮り続けていたことが遺されたスキャン画像から判りました。私はこんな良き時代だった長野電鉄のことを何も知らずこの頃志賀高原にスキーに行って湯田中まで乗車したのに長野電鉄には全く無関心でした。
昭和42年2月 良き時代の長野電鉄を田辺さんが遺された画像から追ってみます。

撮影:1967.02.22 田辺多知夫

モハ1000形  夜間瀬

モハニ200形  夜間瀬 

モハ600形  夜間瀬

モハ600形
モハ610形   村山橋

2015年8月30日日曜日

長野電鉄屋代線 その後の松代駅

2012年3月末で廃線となった長野電鉄屋代線。ペリー艦隊横浜来航時の蒸気車(模型)の絵の元絵(写生画原本)が保管されている松代の真田宝物館を訪問した帰り、今の松代駅に立寄ってみました。

屋代線現役時代の松代駅.松代の町にふさわしい味わい深い駅であった。 2012.03.21

廃線から3年が過ぎた今、松代駅は本屋と3番線ホームが残され、1、2番線島式ホームと構内の線路は消え一面に砂利が敷き詰められていた。廃線後に駅本屋をバスやタクシーの待合室に利用されるのはよくあるが、こうして駅本屋とホームが保存されているのは嬉しいことだ。いかにも地方私鉄らしい木造駅舎をいつまでも保存してもらいたい。2015.08.29
線路や島式ホームがあった構内は一面に砂利が敷いてある。
ここに長野電鉄保存車両を並べるのだろうか。
2015.08.29

2012年3月28日水曜日

長野電鉄 気になる須坂駅

3月31日に迫った屋代線の廃線、そして2000系D編成の引退。
この週末に向かって今日も須坂駅は大変な騒ぎでしょう。
もっと真面目に撮っておけば良かったあの頃の長野電鉄。
当時は見向きもしなかった最新鋭OSカーでさえとっくの昔に過去の車両に。

42年前の長野電鉄  1970.8.17

屋代線のクハ1052  元定山渓鉄道ED5102  須坂駅
今の須坂駅 2012.3.21


2000系B編成 須坂 1970.8.17

1000系3連   1970.8.17


0系OSカー  クハ52+モハ2

今も放置中の新OSカーは物置代わりとは・・・

2012年3月23日金曜日

屋代線 保存車両

小布施駅に保存されていた車両4両が信濃川田駅にやってきた。
美しく化粧直ししてありこれから廃線イベントに使われるのでしょうか。


デハニ201(モハニ131) 信濃川田 2012.3.21 

デハニ201(モハニ131)   ED502(ED5002)



 
現役時代の旧型車 モハ611  1970年8月
モハニ131と同形のモハニ531   クリックで拡大

2012年3月22日木曜日

屋代線 名勝路線の見納め

廃線まで残すところ10日余り、天気の良い平日を狙ってやっと屋代線へ行ってきました。
名残りを惜しむの地元のお年寄りや子供連れで須坂行きの車内はかなり賑わっていた。

河東線と呼ばれていた長野電鉄須坂~屋代間は名前の通り千曲川の東岸に沿って走っていて、河東線とはなるほど。この日、西の車窓に北信濃の山並みと北アルプスの白銀を望むことができた。信濃川田、大室、金井山と歩いてみたが、千曲川の土手に最も接近する大室~金井山あたりも人家が多く山並みを入れて電車を撮るのは困難であった。
信州の小京都松代と素晴らしい景色の中を走っている屋代線、まもなく過去形になってしまう。


金井山-大室間で線路は千曲川の土手に接近する.画像クリックで拡大
千曲川の向こうに北信濃の山並みと北アルプス(左奥)を望み、←松代寄りに川中島古戦場がある.


小さな大室駅を俯瞰する.  大室-信濃川田   2012.3.21


冬枯れ景色を行く.金井山-大室間で線路は左手千曲川の土手に接近する.


松代城址から見た信州の小京都にふさわしい松代駅の佇まい.

木造建屋と線路配置が魅力的な松代駅

しなの鉄道 屋代駅で木造跨線橋を渡ると屋代線の電車が待っている.