案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
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2022年4月17日日曜日

よき時代の下津井電鉄2

1961年に新型車モハ103を投入した2年後、1963年は良き時代の下津井らしい車両がまだ活躍していて、私の1年後に田辺さんが訪問していました。

撮影:田辺多知夫 1963.7.19 


魅力溢れる傑作の編成 モハ50形+サハ1or2+クハ9   茶屋町


下津井電鉄の看板新型電車モハ103+クハ24 茶屋町


気動車改造型のモハ54 下津井

2022年4月12日火曜日

よき時代の下津井電鉄1

昨日変更したタイトルの写真です。
写真集「地方私鉄1960年代の回想」の下津井電鉄で使った1シーンの次の1コマです。

撮影:1962.7.29

瀬戸内海の風景を行くよき時代の下津井電鉄の車両と風景。
琴海-鷲羽山 


バケット付気動車を改造した電車が活躍していた時代。下津井 


琴海


2017年11月13日月曜日

下津井電鉄 観光路線化

1988年4月瀬戸大橋開通後も、下津井電鉄はどうやってこの観光路線に客を引き寄せようとしていたのであろうか?  考えられそうな推測をしてみました。

1987年頃、下電バスのドル箱観光コース(倉敷見物~鷲羽山めぐり)に、メリーベル号乗車、メルヘンチックな児島駅での買い物、下津井駅の車両展示施設見学などを新規に組み込んだのであろう。
瀬戸大橋の開通に伴う丸亀航路の消滅、JR茶屋町~児島開通による岡山~児島間の時間短縮があっても、大橋開通効果により下電バス+観光鉄道のコース(倉敷見物~鷲羽山めぐり)に飛躍的な集客が見込めると読んだのであろうか。

観光路線用に新造したメリーベル号に展望車をつけて観光客にこの絶景を楽しんでもらう。但し瀬戸大橋は見えない。1988.4.9

昔は下津井までバス道路が整備されていなかった絶景の海岸線。
車窓に瀬戸大橋が見えるのはここだけ。下津井電鉄と並走する道路は大橋開通以前に既に整備されていて、児島または下津井からはわざわざ電車に乗らなくても、ここ鷲羽山へバスで行けるようになっていた。鷲羽山  1988.4.9

下津井駅からメリーベル号で鷲羽山めぐりにやって来た団体客。これに乗車することが観光のセールスポイントの一つ。明日は瀬戸大橋が開通する。 鷲羽山 1988.4.9

児島へ向って発車したメリーベル号。

下津井駅は下津井港から丸亀航路で四国へ渡るルートであった。丸亀航路が消滅してからは、ここからバスか電車に乗って児島に引き返す。1988.4.9

下津井駅の観光化。下津井駅に立ち寄る鷲羽山めぐり客に、小型SL運転や車両展示を楽しんでもらうと考えた観光施設。

始発駅児島駅の移設新設と観光化。下電バスの拠点を児島駅とし、倉敷からの下電バス客はここで買物をしてメリーベル号に乗って鷲羽山めぐりに向かうと企てた。

瀬戸大橋は開通し、丸亀航路は既に消えている観光案内図。大橋開通効果で一大観光スポットを目指し、その中にShimotsui✳Cost✳Line(観光路線)を位置づけた。大橋開通こそが客を呼び込めると。 1988.4.9

2017年11月10日金曜日

下津井電鉄 下津井

下津井電鉄の下津井手前にこんな大カーブの名所があったのですね。
1962年に電車から見て再訪を決意した風景。それから26年を経てそこは造成が始まっていた。瀬戸大橋が開通した1988年4月10日がついこの間のように思えるが、なんとあの日から30年も過ぎていた。そして今の自分の年齢から30才引いてみると、これを撮った時は信じられない若い自分であった。
撮影:1988.4.9

 のんびりのんびり電車がやってきた。今は宅地になっているが軌道のカーブはしっかり痕跡が残っている。

フジカラー電車。

そしてここが丸亀航路が出ていた下津井港。

乗ってみたけど何も覚えていない電車、無視してしまったのか。瀬戸大橋開通1988年4月10日前日の下津井駅。翌日の大橋開通により華やいだ勢いが一変、坂を転げ落ちる。

楽園の夢も吹っ飛んだ。

2013年10月7日月曜日

第9回 軽便鉄道模型まつり-2

1/80 9mm
「むかし下津井軽便鉄道」
1913年(大正2年)開業した下津井軽便鉄道。
その後、下津井電鉄と社名変更し、1990年(平成2年)に廃止となる。
私の故郷、岡山の情景を1/80スケール、下津井電鉄をモチーフに再現してみました。

製作のコンセプト
①レイアウトの4つのコーナ部分に、趣の異なった情景を製作するとともに、全体的にまとまるようにする。
②思い出の1シーンをレイアウト上で再現する。
③少年時代の昭和50年代から廃止となる平成2年の末期の姿、季節は夏とする。

以上は作者(磯野さん)の作品解説より

港から下津井駅にかけて俯瞰する.  2013.10.06


2012年7月17日火曜日

丸亀航路

瀬戸大橋がまだ無かった時代の宇高連絡線に対し、下津井電鉄の下津井港から丸亀へ渡るのどかな丸亀航路があった。下津井電鉄を降りて船で下津港を出港したところを丸亀航路 で紹介しましたがその先を続けます。
対岸の四国丸亀にはかっては坂出市丸亀市多度津町と善通寺・琴平を結ぶ軌道線「琴平参宮電鉄」が運行していたが1963年に廃止されてしまった。下津井港を出港した丸亀航路では途中の島に客を降ろすのか小舟が写っていた。四国で印象的だったのは小舟が着く島の家並みや、宇和島で見た茶褐色の家並みで、この頃にはまだ残っていた瀬戸内や四国独特の昔ながらの家並なのかも知れない。

丸亀航路の途中で見た乗客満載の小舟。 1969年5月

小舟は島のさいさな港に接岸する。


丸亀城から見た丸亀港と市街.6年前までここに軌道線が走っていた。


予讃線西端の宇和島の街並み. 四国西の果ての家並みに独特なものを感じてしまう。

2011年9月28日水曜日

下津井電鉄 丸亀航路


瀬戸大橋開通に合わせて作られた下津井電鉄の案内板. 児島駅 1988.4.8

その昔、岡山から国鉄宇野線の茶屋町で下津井電鉄に乗換えて下津井まで行き、下津井港から丸亀航路で四国へ渡るルートの一翼が下津井電鉄であった。
1972年3月に茶屋町-児島間が廃線となり、児島~下津井間6.3Kmのみとなり国鉄との接続が無くなってしまったが、観光客の足はそれ以前から倉敷~児島間のバス便がメインであったようだ。

残された路線で児島から鷲羽山や丸亀航路の下津井港へ観光客を運んでいた軽便鉄道は、瀬戸大橋の開通に合わせ観光鉄道化への様々な増収策が実施された。
そして1988年4月10日に瀬戸大橋とJR瀬戸大橋線が開通すると、岡山からJRで四国へ最短時間で渡れるようになった。

大カーブで方向を変えると海へ向って下る. 下津井-東下津井  1988.4.9


下津井港へ向かって下ると終点下津井に到着する.

下津井で降り改札口を出ると丸亀航路が迎え、丸亀まで1時間ちょっとの瀬戸内海の船旅が始まる.写真は瀬戸大橋開通の前日で、明日から流れが変わる。 1988.4.9

四国丸亀と連絡する琴平参詣船の発着港として繁栄してきた下津井港. 1988.4.9


部分廃線以前の下津井→丸亀航路 1969年5月
丸亀航路から見た下津井港の古い街並. 1969年5月

2011年9月26日月曜日

下津井電鉄 沿線のハイライト鷲羽山

下津井電鉄沿線のハイライトは琴海~鷲羽山間のSカーブで車窓に開ける瀬戸内海の眺望、そして瀬戸内海の島々を結び四国まで連なる瀬戸大橋を一望できる鷲羽山にあった。
鷲羽山の駅に真っ赤に塗られたメリーベル号が到着すると、沢山の観光客が下りてきて鷲羽山へと向かって行った。この翌日に瀬戸大橋が開通する。


琴海-鷲羽山  1988.4.9


琴海~鷲羽山を行く下津井電鉄の名場面  1988.4.9

                 1969(S44)年5月                        

完成した瀬戸大橋の下をくぐる軽便電車

四国まで繋がった瀬戸大橋を一望にできる鷲羽山山頂.

メリーベル号に乗って鷲羽山駅に降り立った観光客.

瀬戸大橋が開通した日

1988(S63)年4月10日瀬戸大橋が開通した。
この日の朝は快晴、下津井電鉄は昨日までと同じように瀬戸大橋を横目に走っていた。
瀬戸大橋開通がチャンスとばかり下津井電鉄では観光鉄道への変身を図ったが、橋の開通から2年8ヵ月で全廃となった。地方私鉄でしかも軽便としては涙ぐましい数々の増収策は、皮肉にも瀬戸大橋の開通により新生メルヘンチック鉄道が成り立たなくなってしまい、全てが消滅してしまった。


この日開通した瀬戸大橋を横目に走る. 鷲羽山 - 東下津井 1988.4.10 


東下津井   1988.4.10

2010年9月14日火曜日

夏の瀬戸内海を行く2

開けっ放しのドアから心地よい潮風が吹きこむ。
瀬戸内海を行く下津井電鉄と言えば、元ガソリンカーのデッキ付電車が最も下津井電鉄らしい。デッキ付電車に夢中になり1961年製の新造モハ103などは目に入らなかった。
国鉄宇野線の茶屋町を出発し、児島を過ぎ琴海あたりの瀬戸内海沿いを走るところが名撮影ポイントであった。その後、デッキ付電車は他に置き換えられ下津井電鉄の魅力は薄れてしまった感があるが、瀬戸大橋開通後の1990年まで軽便が28年間も持ちこたえたのは驚きであった。

下津井駅に臨時列車が停まっていて、この日は海水浴客が多かったため臨時が運転されていた。元ガソリンカーのデッキ付電車の3連は下津井電鉄の代表的な編成であった。 

茶屋町行きモハ102    琴海
琴海
モハ102 + サハ2 + クハ23 琴海
海が目の前に拡がる琴海の駅。夏の日の夕方、競艇帰りなのか?沢山の客が小さな軽便電車に乗り込んだ。