案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。
ラベル 土佐電気鉄道 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 土佐電気鉄道 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年8月18日金曜日

とさでん 明見橋あたり

 後免町行き電車が高知市の郊外に入ると一変し、川や小高い丘や田畑に沿って曲がりくねった道路の路側軌道がしばらく続く。特に明見橋あたりは花巻電鉄のような軒下かすめる軌道線ムードがあり、砂利に埋もれた軌道がローカルカラー満点であった。このあたりの路側軌道は現在も健在だが、沿線にあった味わい深い建物が消え今はスッキリした風景になっている。



電柱に表示された駅名明見(みょうけん)橋。1969.5.5
よく見ると鯉のぼりが。その下にある旗は高知の風習「フラフ」だそうで、いろいろ図柄があるようだ。


明見橋の裏に拡がる田園風景。



2020年3月21日土曜日

鉄道模型趣味誌の連載記事 第10回

今月発売の鉄道模型趣味(TMS)4月号は土佐電気鉄道の御免町ジャンクションです。
早いもので今月号で連載10回になります。
たった2ページの写真記事ですが毎回詰めの段階でえらい時間が掛かります。
先日もキーポイントになる背後に写る山の名称で、たった名称一言の調査にどれだけ時間を掛けてしまったか。こんな拘りも自己満足に過ぎないのかもしれません。



1969年、御免町駅で軌道線⇒鉄道線への乗入れ風景です。

2019年6月14日金曜日

足摺から高知はりまや橋へ

当時は今と違って足摺岬へ向かう鉄道は国鉄宇和島or土佐佐賀までで、そこから先は高知県交通各線のバスが走っていた。
高知に出るのに足摺岬から土佐佐賀までバスを利用したが4時間ほどかかった。当時、中村線は中村(今の四万十市にある駅)までは開通してなく土佐佐賀までだったが、今では中村を通り宿毛まで開通している。
それしても今の路線名は「土佐くろしお鉄道」とか「四万十くろしおライン」とかで何とも分かりにくい。中村線なら一言で分かるのに。そして四万十市は旧中村市だったとは知らなかった、さらに別のところに四万十町というのもある。

1968年の路線

はりまや橋交差点の賑わい。1968.5.5
はりまや橋交差点は過去何回かアップしてきました。この交差点はどこを撮っても似たような風景になってしまい魅力的ではないですが、今回の画像は初めてアップするものです。

この日も5月晴れでスカットした天候がいかにも南国土佐の感じがしたものだった。
ペギー葉山が唄う「南国土佐を後にして」が大ヒットしたのは1960年頃であった。

桟橋線の四輪単車

コメントにあったデハ101をもう一枚。 高知駅前

高知城と300形4輪単車

2018年7月16日月曜日

土佐電 はりまや橋

昭和44年、南国の夏の日差しと思ったら5月のことであった。

はりまや橋。  1969.5.5

今もこんなに賑わっているのだろうか。はりまや橋。

サラリーマンでも車が買えるようになって、急速に車社会へ突入した頃。はりまや橋。

はりまや橋

ごめん行の後に続く知寄町行。路面電車の写真は楽しいけれど、どうしてもこういう1パターンの写真のオンパレードになってしまいがち。使い道のない写真からの1枚。

はりまや橋。田辺さんの1枚  1969.2月

2017年8月16日水曜日

昭和44年の高知 桟橋線

街を行く路面電車の写真は、前方後方斜めからの1パターンになりがちで、そうなると飽き飽きしてくる。それらを排除して最少限とし、大きめの画像にしてみました。路面電車は時代を感じさせる風景がどれだけ写っているかが面白さだと思います。懸命にクルマを避けて撮った殺風景な路面電車は使い物にならない。そんな写真がなんと多いことか、時代が分かるクルマは決して邪魔ではなかった。

桟橋線 昭和の風景 1969.5.5 ワンパターンの1枚

桟橋線 戦後を感じさせる広々とした道路。

  桟橋線 桟橋通三丁目

桟橋線

桟橋線 はりまや橋

桟橋線

桟橋線 桟橋通五丁目


友人の友人宅に泊めてもらった朝の記念写真。

2017年8月13日日曜日

昭和44年の高知市街

田辺さんの高知駅前の1枚を見て、まだスキャンしていない高知市街のネガを思い出しました。

日本は高度成長期の後半、増産増産の工場は公害垂れ流し、クルマは一気に増え、1960年代も終わりを迎えていた。寅さん映画でよく見る懐かしい日本の風景(70年代)がスタートする頃であった。あれから48年もの年月が過ぎた。

古い時代を感じさせる高知駅前の1枚。1969.2.22 撮影:田辺多知夫氏

以下はその3ヵ月後 1969.5.5に私が撮った高知市街。

高知駅前と市中心部の「はりまや橋」を通って桟橋通五丁目を結ぶ桟橋線に単車300形が次々とやってきた。桟橋線 はりまや橋

桟橋線 はりまや橋

後免線知寄町行き。

高知城が見える市街。

鏡川を渡る桟橋線。

桟橋線の終点 桟橋通五丁目。対岸の工場地帯は大変な公害。この1枚のみ再掲。
 

2016年11月1日火曜日

土佐電の魅力2

土佐電のもう一つの魅力は道路端の専用軌道を行く区間にあった。
この区間の道路端軌道は今も変わらないようだが沿線の風景は大きく変わっている。
今、同じ位置に立っても当時の風情は残っていないのでしょう。
綺麗になった日本、全国津々浦々まで。

まもなく後免町の直線区間. 1969.05.05

田んぼと路線電車.

軒先かすめての世界.

明見橋を行く重連.

重連の急行安芸行.

2016年10月27日木曜日

土佐電の魅力1

後免町で軌道線が安芸線に乗り入れる素晴らしい光景があった.1969.5.5

五月晴れの安芸線風景.

安芸線の魅力溢れる車両.後免町

どれも魅力的な車両たち.


安芸線 後免町駅全景.

軌道線 後免町駅

2011年7月16日土曜日

土佐電 ごめん行き電車2


↑南国市後免町方面. 小篭通電停の手前で高知市から南国市に入る. 1969.5.5

高知市郊外の変化に富んだ未舗装併用軌道の区間は終わり、
篠原から後免西町まで専用軌道となり、直線区間をごめん行き電車が飛ばす.

後免西町~後免東町の併用軌道に入ると終点後免町も近い.

軌道線の終点後免町駅. 電車はここで高知市内(鏡川橋)へ引き返す. ポップアップ
到着した後免町駅の軌道線ホーム。ここで安芸線(鉄道線)に乗換えるか、直通乗り入れで安芸方面へ向かうことができる。ホームの先に安芸線の線路と車庫が見え、左に安芸線のホームがある。

軌道線の線路は鉄道線へつながっている.

はりまや橋から後免町までの後免線(軌道線)は、後免町駅で安芸線(鉄道線)と融合する場面が魅力的であった。後免町駅で軌道線が鉄道線の線路と繋がり、乗り入れ仕様の路面電車が安芸まで直通運転をやっていた。55年も昔(昭和30年)からこんな先駆的な取り組みをやっていたのに改めて驚かされる。

「のりかへ 後免町驛」と表示された軌道線のホーム.手前に安芸線(鉄道線)のホームがあり、軌道線からの直通乗り入れは左手が安芸方面となる.  ポップアップ

軌道線のホームと繋がった鉄道線(安芸線)のホーム.