九十九里鉄道を弊ブログで紹介したのはブログをスタートした2010年の年末でした。
高校時代の友人(飯島巌氏)が遺した紙焼きプリントを再度アップしてみます。
廃止となった1961年2月頃、私は高校生で九十九里の廃止は知っていたがカメラを持ってなく撮りに行くことが叶わなかった。まさか同じ高校同期に撮りに行ったファンがいることも知らずにいた。私にとって軽便の頂点だった九十九里鉄道を見逃した悔しさが、1962年春から始めた地方私鉄めぐりの動機であった。撮っておかないと後になって後悔する、そんな想いで危なそうな地方私鉄路線を次々と追い続けた。魅力の三大軽便で九十九里、草軽は間に合わず、間に合ったのは沼尻だけだった。
九十九里鉄道の沿線風景は変化なさそうで、魅力は車両にあった。だれでもが車両中心に撮り、走行写真を撮る人もいた。当時(1960年代の半ば頃)、九十九里鉄道の駅や車内の日常風景の魅力を撮った写真を、私は書物や先輩たちの成果で見たことがなく、車両写真と良いポイントで撮られた走行写真で十分満足だった。しかし九十九里の魅力はそれだけではなかった。
小さな単端が3両も牽いてノソノソ走る。 家徳 1961年2月
| 単端に牽かれるケワ + ハニフ + ケハフ。ボギー貨車でどんな荷物を運んでいたのだろうか。家徳 |


2 件のコメント:
アタシは当然現役時代は知らないのですが、片貝海水浴場に行ったときに道端?に放置されていた廃車体を見たのと、親会社京成が谷津遊園と船橋ヘルスセンターを結ぶ豆汽車的に使うつもりで遊園地の片隅に置かれたという車体を見たことがあります。
いずれも小学生時分の記憶ですから細部は怪しいのですが・・・
Cedarさん
廃車体は幼稚園へ車体のみ贈られた車体ハニフ106とケハ107の1両だと思います。残り11両は建設予定の遊園地鉄道に転用する予定が実現せず、東金駅構内に最後まで終結していたそうです(RMライブラリー)。
ボギー貨車を除くと、解体されて残骸がトラックに積み込まれ全てが消えたのが1975年5月3日でした。廃車車両は東金駅構内に何と14年もの長い間放置されたままで、多くのファンが廃車車両を訪れたと思います。
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