案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年7月1日水曜日

銚子電鉄 夏の日1

facebookで銚子電鉄のポール電車デハ201(木造車時代)に沢山のコメントが寄せられましたので、2012年にアップした「銚子電鉄 夏の日」を再び紹介したいと思います。

 撮影:1963.6.30 1点除きハーフサイズカメラで撮影です。
夏の外川駅
夏の海辺の小鉄道にふさわしい銚子電鉄で最も好きな1枚です。
駅の近くにオート三輪、その周りで遊ぶ子供たち。味わい深い建物。
終着駅外川では電車から降りたたくさんの子供たちが海へ向かうところか。
昭和38年、まだ鉄道に乗って夏の海辺にやってくる時代であった。

夏の乗客を満載した木造ポール電車デハ201はハフ1を増結して外川に到着する。

外川駅風景デハ201

外川駅のハフ1

ハフ2

 駅舎に描かれた文字(外川駅)がかすれた外川駅。

駅を出るとそこは太平洋に面した漁村。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

むせかえるような夏の空気まで伝わってくる、素晴らしいお写真ですね!
デハ201の雨宮製台車もはっきり写っています。
極め尽きはラストの1枚ですね。

モハメイドペーパー さんのコメント...

この写真の約10年後、外川の民宿に泊まったことがあります。駅前の家並みはもう少し綺麗になっていましたが、夜になったら聞こえるのは波の音だけ。201とハフも見ましたが、予備的な存在のようでした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
夏休みと書きたいところだけど6月末でまだ夏休み前でした。
夏休みで麦わら帽子をかぶった子供たちで賑わっている海辺の鉄道。
そんな光景を撮りたかった。
木造電車に雨宮製台車が魅力的ですね。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
モハ201はこの後に鋼板貼って10年後の昭和50年頃はまだ健在だったようですね。
私が外川の民宿に泊まったのは16年後の昭和54年で日本がすっかり綺麗になった時代でした。
昭和38年の銚子電鉄には沢山の乗客が乗っていましたが、
どこの路線でもこれが当たり前の時代でした。