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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年4月29日月曜日

奥山~気賀口間の部分廃線

遠州鉄道奥山線の春爛漫の奥山駅をRM LIBRARY 第10巻に掲載したのは2000年5月でした。1963年4月30日に部分廃線となった奥山~気賀口間。これまで奥山駅は写真集でも取り上げてきたので今回の情景集には掲載されていません。秋までにこの廃線区間と奥山駅にまつわる話を纏めようと思っています。



春爛漫の奥山駅はまさにジオラマ的な情景であったRM LIBRARY 第10巻

以下は1点除きハーフサイズカメラで撮った情景

気賀口から奥山へ続く線路.どの駅にも人影がない.



桜満開の奥山駅 1963.4.4

ハーフサイズカメラの広角42(35mm判カメラ換算)mmレンズで撮った写真.
味わい深い駅舎、桜の木、子供達、自転車、貼紙など全体の小道具の集積でジオラマ的な情景となる.


望遠アップで「おくやま駅の風景」を撮るとこんな感じになるのでしょう.
写真に訴求力がアップするが部分的な情景となる.


発車まで20分程のひと時.


駅の脇に川が流れ周辺は桜が満開だった.


気賀口駅風景.
前方を右手にカーブする線路が奥山まで伸びていた1963年の4月。

2 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

奥山線の存在を知ったのは、アルバイト先でkathuさんに出会っていろいろと話を聞いたからで、1964年3月に気賀口まで乗りました。電化区間の曳馬野あたたりまでは結構乗客も多かったようですが、小さい車体だから輸送力は知れたものだったのですね。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
1964年3月は私達5人で奥山線を訪問しましたが、ちょうどその頃にアルバイト先でモハメイドペーパさんと一緒でしたね。この頃にモハメイドぺーパさんが気賀口まで行っていたとは知らなかったです。
私達が訪問した3月23日はとても春らしいよい天気でした。
この年の秋にバス路線に切替わりましたが曳馬野から先の道路はひどい凸凹道でホコリを巻上げていました。
まだ道路が整備はこれからの時代によくバスに切替えたものです。