案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年10月6日日曜日

講演「地方私鉄めぐりの旅 魅力のナロー情景」より(3)

1963年4月30日で部分廃線となった気賀口~奥山間を日中1往復の気動車に乗って奥山へ向かったのが1963年の4月。奥山は桜が満開だった。
 


全てオリンパスペンSハーフ判カメラで撮影
1963.4.4 

奥山駅が近い.


気賀口から20分ほどで桜満開の奥山駅に到着した.



2024年10月1日火曜日

『軽便讃歌13』

2024年9月28日 軽便祭プレイベントの講演にご来場ありがとうございました。

綿商会館4Fホールで開催された講演と、翌29日の軽便模型祭が終わりました。
プレイベントの講演「軽便讃歌13」では私の『地方私鉄めぐり 魅力のナロー情景』と
名取編集長の「1976年、第一回軽便祭の頃」でした。


今回は、当時の旅のポリシーやエピソードも交えつつの内容と、遠州鉄道奥山線の印象深かったナロー情景や西大寺の単端などを取上げました。スタートすると会場は真っ暗に、準備した駅名などのメモが読めない・・幾つか駅名が出てこないのには焦りました。

次は名取編集長の「1976年、第一回軽便祭の頃」で紹介場面です。
約300枚ほどの画面で後半は私が知らないトワイライトゾーンを追った時代が紹介され、長髪の若者たちが何故トロッコを追ったのか? あの時代のことが分りました。あの若者たちは今や60~70才前後でしょう。


翌日の軽便模型祭の賑わい.

2024年9月22日日曜日

地方にあった人々の活気(軌道線の賑わい)

昭和39年、夏の花巻軌道線は人々で賑わっていた。
消えゆくナロー路線ながら駅や列車に乗客が多く
日本はまだ子供や若者が多かった時代。
そんなある時代の賑わいを集めた情景につけた
タイトルを「地方にあった人々の活気」とした。
地方小鉄道の衰退はその後のマイカーブームだけではなかった。

「軌道線の賑わい」
花巻温泉郷へ向かう客で賑わう花巻駅ホーム。
スイッチバック駅西花巻の賑わい。
西公園駅を降りて道路を行く人々。
電車+客車2両が満員の朝の通勤列車。
夏休みの子供達で賑わう志度平温泉駅前の遊園地。
遊園地、温泉帰りの客で満員の列車。
終点西鉛温泉に降り立つ温泉客の賑わい。
 
撮影:1964.8.2

スイッチバック駅西花巻の賑わい.


西花巻と西公園間のSカーブを行く満員列車.


朝の通勤・通学時間帯は満員.1966.3.4


志度平温泉駅の賑わい.

終点西鉛温泉に降り立つ温泉客の賑わい.

2024年9月12日木曜日

第20回軽便鉄道模型祭プレイベント『軽便讃歌13』

毎年恒例のプレイベント(講演)の宣伝です。

期日:2024年9月28日(土)
・会場:綿商会館 4Fホール

・開場13:00・開演13:30

プレイベントの案内サイト
https://keibenfes.exblog.jp/242393978/

『地方私鉄めぐり 魅力のナロー情景』
今回は、遠州鉄道奥山線をはじめとする、軽便鉄道の殊更印象深かった情景を中心に、当時の旅のポリシーやエピソードも交えつつの内容です。


あれから50~60年眠っていたネガを取り出してプリントしてみると、当初の撮影ポリシーには無かった撮影対象が新鮮で、時を経て見る情景写真にはあの時代の生活感が溢れていた。





2024年9月1日日曜日

60年前の小さな旅

先日8月17日にビックサイトで開催したJAM クリニック「地方私鉄 失われた情景」で
参加者に配布された冊子です。


冊子「60年前の小さな旅」
関東鉄道竜ヶ崎線

私が竜ヶ崎線を知ったのはTMS 89号に紹介された地方私鉄めぐり「鹿島参宮鉄道竜ヶ崎線」だった。TMS 89号は1955年12月号で昭和30年、私はまだ小学生だった。
この記事から竜ヶ崎線にすっかり惚れ込みマイカメラで真っ先に訪問したのが7年後の昭和37年とその翌年。TMS記事で見た5両の古典二軸客車は一両となり客貨混合列車は消えていたが蒸機2両が健在で、記事にあった昭和30年頃の鹿島参宮鉄道の面影が至るところに残されていた。





東京近郊でこんな蒸機が牽く列車の光景をまだ見ることができた昭和37年。 列車はハフ15(片ボギー)荷物車を連結して、まるで客貨混合列車のようだった。1962.3.29

2024年8月30日金曜日

心に残る路線 その2 北陸鉄道能登線

 先日8月17日にビックサイトで開催したJAM クリニック「地方私鉄 失われた情景」より.





国土地理院の当時の空中写真から作成した滝駅のジオラマ図.

滝駅を発車すると目前に海が開け海岸すれすれの高さを走る. 
滝-柴垣間   撮影:1962.8.2

キハ5201(元国鉄41000を改造)片側バケット付.


夏の海岸線を行く生え抜きの雨宮製キハ5102+コハフ3001.


キハ5162(元三岐)+コハフ1502(2軸車).


海岸の岩場に近い最も高さ低いところを行く線路.


国鉄の小さな40000形より更に全長短い生え抜きの気動車キハ5001.どの気動車もバケットを備えていた.

2024年8月29日木曜日

心に残る路線その1 沼尻

 先日8月17日にビックサイトで開催したJAM クリニック「地方私鉄 失われた情景」より.




撮影:1964.1.2~3

ドロ軌道と磐梯山の魅力


単端ガソ101の魅力(バック運転)


ドロ軌道を行く単端ガソ101


鉱山鉄道の魅力 川桁

2024年8月19日月曜日

JAM「第23回国際鉄道模型コンベンション」

台風でどうなるかと心配していたJAM。
二日目8月17日(土)は台風一過の晴天で、ビックサイト東1の大ホールは開場10:00前から並んだ熱心な入場者で埋め尽くされた。


台風一過の青空.

この日はJAMのクリニックで名取編集長との対談でした。台風の影響を心配しましたがフタを開けてみると教室は不安を吹き飛ばす大入り満員。たくさんの方に来場して戴き誠にありがとうございました。ホッと一息です。


入場が混雑し少し時間を遅らせてスタートした対談.Cedarさん撮影

今回の対談は今年発売した「地方私鉄 失われた情景」に関するトークで、名取編集長が用意された冊子「60年前の小さな旅」の話も織り込まれました。今回のJAMのテーマである特急とはおよそかけ離れた地方私鉄の情景の話でした。

羅須地人鉄道協会9号機の運転台に載せてもらい一往復走行。会場では火力が使えずエアーを使った走行でした。縮尺1/1の蒸機を設計製作をしてしまう技術力に驚嘆です。

それにしても展示メイン会場の人出がもの凄い。鉄道趣味は模型も実物もジャンルが様々で人それぞれの楽しみ方がある。JAMはコアなジャンルから旅まで模型だけでなく幅広く鉄道好きの人たちを展示やショーで楽しませてくれる。

2024年8月6日火曜日

最新コメントの表示

 サイドバー(右)の下部に「最新コメント」を設置し
最新6件を見れるようにしました。

これまでは昔の記事の最新コメントのやり取りが分かりませんでしたが、
「最新コメント」の表示により新しい順に6件まで見ることができます。


2024年8月5日月曜日

今年もJAMでやります対談。

来週8月16~18日に開催される
JAM「第23回国際鉄道模型コンベンション」が近づいて来ました。

下記のクリニック一覧にある通り8月17日(土)教室2にて
名取編集長と私の対談を10:30から80分ほど開催します。

今年発売した「地方私鉄 失われた情景」の背景など本には書いていない内容になると思います。今回も名取編集長による素晴らしい冊子が参加された方にプレゼントされます。


2024年7月31日水曜日

遠州鉄道 消えた気賀口~奥山間

私が見ることができた1962年以降の軽便鉄道で人気の沼尻、頸城、井笠、尾小屋は多くの書物で言い尽くされた感じがする。早くに消えた西大寺を除くと仙北、駿遠、奥山、花巻となるがこの中で紹介が少ないのは奥山線の非電化区間(曳馬野~奥山)で、今でも切り口がいろいろと楽しめる。



昭和38年に消えた廃線区間(赤)




1963(昭和38)年4月に部分廃線になる前、気賀口の先の急カーブで北へ方向を変え神宮寺川沿いに山間を奥山へ向かっていた。


気賀口  1963.4.4

2024年7月23日火曜日

島原鉄道

300年の歴史がある「島原手延べ素麺」が生まれた土地は島原半島南部の西有家町須川。

古い線路図で見ると2008年に島原鉄道の部分廃線で消えた島原外港(現:島原港)~加津佐間に西有家の駅があった。その先が島原の乱の原城遺構がある南有馬。有明海の向こうは天草。

世界遺産の南島原を海沿いに走っていた島原鉄道の廃線区間。どんなに素晴らしい南島原の鉄道風景だったことだろうか。


島原手延べ素麺.南島原市西有家町


昭和27年 鉄道線路図(日本国有鉄道営業局)


撮影:1967.3.3
島原の街. 


島原城から有明海を望む.


当時は島原外港から三角港に渡り、三角から国鉄三角線で熊本へ出るコースだった.

2024年7月17日水曜日

4年前の思い出 TMS連載記事(鉾田線)

facebookでは数年前の今日が思い出として現われる。
今日は4年前2020年7月17日にfacebookに投稿した記事が現れてあの頃が思い出された。

TMS誌2020年8月号に掲載した鉾田線の原稿に取り組んでいた2020年5月は、東京の非常事態宣言が解除されて少し出歩けるようになった頃。月刊誌連載が3年も続けられたのはコロナ禍の外出制限のせいだったかも知れない。

2020年7月17日にfacebookに投稿したTMS誌記事「霞ヶ浦湖畔 桃浦」

以下は記事に載せなかった車両写真 撮影:1966.8.28

旧東横のキハ42202と42201 石岡機関区


旧東横のキハ42201。石岡機関区


石岡駅で発車を待つキハ201。

2024年6月29日土曜日

本銚子駅

銚子電鉄 本銚子駅前後の線路は今や緑のトンネル状態で日中は駅に人がいなかった。かつての線路には緑はそれほどなくて駅には人がいた。60年の歳月で木々が成長し緑がこれほどまでに成長するのは銚子電鉄だけではなく各地で起きているのでしょう。 


まるでジャングル地帯を行くような緑に包まれた今の本銚子駅.2024.6.25

60年後の緑のトンネル(下の写真にある橋から撮影)

かつての本銚子駅の風景.1963.6.30
橋の向こうのホーム上に子供達が見える.


笠上黒生で交換する電車は満員であった.