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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年8月30日金曜日

心に残る路線 その2 北陸鉄道能登線

 先日8月17日にビックサイトで開催したJAM クリニック「地方私鉄 失われた情景」より.





国土地理院の当時の空中写真から作成した滝駅のジオラマ図.

滝駅を発車すると目前に海が開け海岸すれすれの高さを走る. 
滝-柴垣間   撮影:1962.8.2

キハ5201(元国鉄41000を改造)片側バケット付.


夏の海岸線を行く生え抜きの雨宮製キハ5102+コハフ3001.


キハ5162(元三岐)+コハフ1502(2軸車).


海岸の岩場に近い最も高さ低いところを行く線路.


国鉄の小さな40000形より更に全長短い生え抜きの気動車キハ5001.どの気動車もバケットを備えていた.

9 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

台風が来たら線路ごと流されそうですね。レールは30kgでしょうか。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
ほんとよくこんなところを走っていたものです。C58牽引の乗り入れ海水浴列車がここを走ったそうで、レールは30kg程度の感じですね。

緑の猫 さんのコメント...

吉川文夫さんも、思い出に残る絶景路線として、北陸鉄道能登線を挙げていましたね。小型や中型の気動車がトレーラーを牽引していますが、自然豊かで風光明媚な場所を走る路線の割に、地形や勾配は緩やかだったんでしょうか?

katsu さんのコメント...

緑の猫さん
能登高浜から山間部に入り堀松から25‰の急勾配が連続したそうです。

匿名 さんのコメント...

ご無沙汰しております 北鉄ノスタル爺です

30kgレールに25‰勾配ですか…
「おくのと号」、C58に20m級の国鉄列車が入線できた事はできたわけですが、機関士も乗客もさぞ大変だった事と思います。
景色こそ楽しめても、乗り心地が…

katsu さんのコメント...

北鉄ノスタル爺さん
ご無沙汰しております。
金沢から能登線に乗り入れたC58列車は海水浴列車で柴垣迄でした。従って走ったのは25‰勾配がない平坦の区間だけでした。

北鉄ノスタル爺 さんのコメント...

ご教示ありがとうございました。
それにしても、あの脆弱な路盤を堂々と国鉄列車が行く様を見て見たかったです。
北鉄線唯一の国鉄列車乗り入れ区間でしたよね。
他の線区が叶わなかったのを、能登線はやってのけた?のがうらやましいと思いました。

風旅記 さんのコメント...

こんにちは。
少し前に初めて北陸鉄道を訪ねる機会がありました。
高度成長期まではその地域で鉄道のネットワークを広げていた地方私鉄、その後の鉄道の衰退、そして今ではバス路線まで維持が困難になってきている状況、少し長めの時間軸で考えることのできる鉄道だったと感じています。
能登半島に離れてあったこちらの路線、非電化で、金沢から延びる各線とは違った風情があったものと想像しています。
海の傍を行く列車が海水浴客で賑わっていた様子を想像しますと、現代の快適さと反比例して消えていった“素朴な喜び”が伝わってくるようです。

katsu さんのコメント...

風旅記さん
こんにちは。
北陸鉄道の能登線は非電化で確かに金沢周辺の電化線とは趣が異なっていました。
暗い季節の曇天が松本清張の「ゼロの焦点」の舞台に実によくマッチしていたと思います。
夏は一変して明るい能登の海岸を海水浴客を満載して走っていました。まだまだマイカーが普及していないノンビリした時代でした。