案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年11月2日水曜日

尾小屋駅の物置小屋

尾小屋駅の終端にあった物置小屋2棟が撤去されたようです。
よくぞ最近まで小屋が保存されて来たものです。
これで尾小屋駅の面影も殆ど消えてしまったことでしょう。
 

清流の畔にあった小屋2棟。


三重交通から来た時はボロボロだったホハフ7も少し綺麗になっていた。


1964.12.30


5号機に火が入った日。1970.11.3


初めて尾小屋鉄道に乗って訪問した終着駅尾小屋。1962.8.1

2022年9月23日金曜日

桜木町駅


大岡川

先日、桜木町駅に下車したところ、余りの変貌で昔の横浜市電の軌道と国鉄の位置関係が全く分からなかった。昔の地図と写真を付けあわせて、かっての位置関係を割出してみようと取りあえず写真を並べてみた。


1961~1969年の桜木町駅と道路

桜木町東口の駅前風景との市電電停 1963年。
スタジオジブリ作品の公開場面8作品、合計400枚提供の中から
コクリコ坂50枚の1枚(ジブリの公式サイトより)
現在の桜木町東口の駅前はこの辺りに横浜桜木郵便局のビルが建っている。



桜木町東口の電停を発車して海に向かうとすぐ弁天橋を渡り本町通りに出る。1963年

以下3点は撮影:田辺多知夫氏
桜木町西口の16号線上にも電停があった。1963年
北方に東横線の駅があり、右手根岸線高架との間にできたのが現在の旧横ギャラリーでここが鉄道発祥の地となる。


市電電停「桜木町駅前」を出ると根岸線ガードをくぐりその先で大江橋を渡る。1963年
また、根岸線ガードの手前で左に分岐し急カーブして桜木町東口の駅前に出るとそこに電停があった。


殺風景な桜木町西口の大通り(16号線) 1963年
手前の高架の先に東横線の駅が見え、根岸線ホームは左にカーブしている。

2022年9月16日金曜日

旧横ギャラリー

 先日、桜木町駅の脇にある横濱鉄道歴史展示(旧横ギャラリー)に行ってきました。









青梅鉄道公園に展示されていた110形。1965.12.26

2022年9月14日水曜日

第6回目の配本「中国地方の私鉄」

髙井薫平さんの力作 第6回目の配本「中国地方の私鉄」が発刊されました。
中国地方5県で昭和30年頃に営業していた16路線(現存3路線)の車両を取り上げているので240ページの大変な分量です。

人気路線の車両写真はRMライブラリー他で出尽くした感があるので、各路線の情景写真と早くに廃止された尾道鉄道、舟木鉄道、防石鉄道、長門鉄道、一畑電鉄の廃止2路線などが見どころか。




240ページこの厚さ。
定価2970円(税込)


2022年9月8日木曜日

小松芦城公園の熱海軽便型 機関車。

小松芦城公園に保存されていた小さなBタンク機関車、
趣味界では確か熱海軽便型の機関車と呼ばれていた。

小松市の芦城公園に小さな機関車が置いてあるのは当時有名な話であった。1964年12月29日の夕暮れ時のうす暗い公園を訪ねた時は機関車は消え台座とレールらしきものしか残っていなかった。残念無念、美しい星空を眺めながら尾小屋鉄道 新小松駅前の安宿に引上げたのだった。

私たちが訪問する9か月前、1964年の3月にここで写真を撮った人がいた。
そこに鎮座していた小さな機関車とはこれだった。
戦時中に小松飛行場の建設工事及び弾薬輸送に使われたそうだ。

撮影:安達克様 1964年3月

大阪鉄工場製No.100  旧小松練兵所所属。


サイドから見ると朽ち果てる寸前の状態であった。

2022年9月4日日曜日

水浜線のイベント

この秋に大洗では下記の通り企画展、講演会、水浜線跡をたどる、が予定されています。
そこで田辺さんが撮影した水浜線の名作2点をアップしてみます。撮影:1966.05.30








終点の大洗駅は大洗磯前神社鳥居の脇で線路が終わる。


大串駅の風景。

2022年8月24日水曜日

西武山口線 おとぎ電車

 私が西武山口線のおとぎ電車を撮ったのはこのサニー車中から撮った1枚だけであった。
1968年に安比奈の鉄連コッペルの帰りに撮った1枚。
おとぎ電車は遊園地施設程度にしか考えてなく私の撮影対象になっていなかった。
その後コッペル蒸機が井笠の客車を牽引する本格的な軽便が山口線で活躍し大人気となった。その時も運転していたおとぎ電車はだれも関心向かない影の存在のように思えた。


おとぎ電車(バッテリー式ロコ+1形客車) 1968.7.14

頚城2号機が活躍していた頃。1972.8.13
背後にバッテリー式ロコと21形客車の一部が見え、そこに客車の台車が見える。 

全てが消えてしまった今、懐かしく思えるのは「おとぎ電車に乗ってユネスコ村へ行く」小学校低学年時代の遠足である。それが年末にナローの模型で発売されるというので「おとぎ電車」の遠足風景を集めてみた。

モノクロ写真は道村清様に使用許可戴きました。
   遠足風景はきっと同伴父兄が撮影したのでしょう。
カラー写真は私の兄が撮影したものです。


蒸気機関車・おとぎ電車 さよなら記念ウィーク」の遊園地前駅 1984年5月
1984年5月14日営業停止。


「さよなら おとぎ電車」のヘッドマークをつけた列車。遊園地前駅 1984年5月


楽しそうな子供達を満載した さよなら「おとぎ電車」  1984年5月
遠足で乗ったのはこの開放型客車であった。


遊園地前駅で列車を待つ遠足の子供たち。昭和30年代初めか?

バッテリー式ロコ。


あの頃の低学年遠足には多くの付き添い父兄が参加していた。


ユネスコ村に到着。
ユネスコ村のオランダ風車の前で遠足の集合写真を撮るのがスタンダードであった。

2022年8月21日日曜日

第21回 国際鉄道模型コンベンション(JAM)

 3年ぶりのJAMが8月19日~21日に開催された。


遂に迎えたビックサイト。

エガミさんが追い続けた日本のスイチバックのロマンについて熱演90分。単なる線路配置だけではなく運用、歴史、地理、自然等などスイッチバックの奥深さを知りました。
今、取り組んでいる日本最大級のスイッチバック=出雲坂根のプロジェクトでエガミさんの壮大なロマンと情熱が伝わってきました。


鉄道開通150周年の特別写真展示。


レールマーケットのコーナーはコロナを忘れてしまう大変な賑わい。


トミーテックのジオコレ新製品1/80 9mmナローが今年12月発売予定。

こんなものが製品化されるのかという驚き。
ある年齢層にとって夢のあるおとぎ電車の模型の試作品。
おとぎ電車に乗ってユネスコ村へ行くことはある時代に東京の小学校遠足の定番であった。


兄の本箱に納まっていたTMS1号から。私が小学生時代に1~100号辺りまでを夢中で読んだ懐かしいTMS。もう手元にはないのが悔やまれる。



毎度アッという間に完成させてしまう宮下さんの素晴らしい作品。


蛇窪さんの作品 九十九里鉄道ケハ111   1/80 9mmナロー
オレンジカンパニー製のキット(1975年頃に発売)を完成させた九十九里鉄道シリーズの1両。
とれいん誌に連載された堤一郎さんのナロー・プロトタイプガイド。


ケハ107(ボギー車)+ケハフ310+キハ201。


2022年8月9日火曜日

常総線の大田郷駅と黒子駅

 以前アップした52年前に撮った大田郷駅の写真が、黒子駅によく似ているとのご指摘がありました。当時の構内配線図や大田郷駅の断片写真、更に今の二つの駅の写真を付けあわせてみると、52年前の写真は大田郷ではなく黒子駅でした。駅名を訂正させて戴きます。


取手側から見た今の大田郷駅  2013.12.30
 左手西側に駅本屋と貨物線があり、かつては常総関本まで砂利採取線の鬼怒川線があった。


52年前に撮った大田郷駅1970.05.24 撮影:田辺多知夫氏

大田郷駅を取手側から見ると駅本屋と貨物線が左手西側にあって当時の構内配線図と一致する。そのことから52年前に撮ったこの写真は取手側から見た大田郷駅と判断したが、実はそうではなかった。

上と同じ52年前に撮った大田郷駅?  1970.05.24 撮影:風間克美


取手側から見た黒子駅  2013.12.30
この黒子駅を下館側から見ると52年前の写真と一致する。52年前の写真は大田郷ではなく黒子駅を下館側から撮った写真であった。