案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年8月9日火曜日

常総線の大田郷駅と黒子駅

 以前アップした52年前に撮った大田郷駅の写真が、黒子駅によく似ているとのご指摘がありました。当時の構内配線図や大田郷駅の断片写真、更に今の二つの駅の写真を付けあわせてみると、52年前の写真は大田郷ではなく黒子駅でした。駅名を訂正させて戴きます。


取手側から見た今の大田郷駅  2013.12.30
 左手西側に駅本屋と貨物線があり、かつては常総関本まで砂利採取線の鬼怒川線があった。


52年前に撮った大田郷駅1970.05.24 撮影:田辺多知夫氏

大田郷駅を取手側から見ると駅本屋と貨物線が左手西側にあって当時の構内配線図と一致する。そのことから52年前に撮ったこの写真は取手側から見た大田郷駅と判断したが、実はそうではなかった。

上と同じ52年前に撮った大田郷駅?  1970.05.24 撮影:風間克美


取手側から見た黒子駅  2013.12.30
この黒子駅を下館側から見ると52年前の写真と一致する。52年前の写真は大田郷ではなく黒子駅を下館側から撮った写真であった。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

このブログ素晴らしすぎて涙が出ます。貴重な写真を公開してくださりありがとうございます。じっくり拝見させていただきます!!!

katsu さんのコメント...

匿名さん、
ありがとうございます。
2つの駅のどこが似ていてどこが違うのか、
52年前の写真と現在の写真をどちら側から見るか、
で解説が大変に難しく更に書き直すかもしれません。

鉄道写真は撮影日と撮影場所の記録が必須であり、
これをおろそかにしておくと後で如何に苦労するかの事例でした。