案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年7月18日土曜日

上田丸子電鉄 夏本番の上田駅

 2011年8月3日にアップした記事より。

夏になると思い出されるのがお盆シーズンの賑わい、そして上田駅の色のこと。


夏休みを使ってよく地方へ撮りに行くことがあったが、8月はちょうどお盆のシーズンで地方私鉄はどこも帰省客など人々の移動で賑わっていた。信越本線上田駅で国鉄に接続する真田傍陽線と別所線では国鉄からの乗換え客で賑わい、夏休みに家族連れでこの私鉄沿線に帰省する人達も多かったのだろう。

それにしても上野から長野方面へ向かう信越本線の混雑ぶりは凄かった、人気の軽井沢~長野方面へ向かう帰省客や観光客で夏の最盛期であった。

昭和45年の上田丸子電鉄は、既に丸子線、西丸子線が消え、この2年後には真田傍陽線も消え、その後別所線だけとなった。この頃に撮った私鉄はどこでもごく平凡な路線だったが蒲原鉄道、新潟交通などと同様に、上田丸子も当時を見ると個性豊かな電車で魅力的に感じるのは時代の変化によるものか。

古風な駅建屋から発着する真田傍陽線は、ツートンカラーの味わいのある電車で電鉄上田駅によく似合っていた.

真田傍陽線 電鉄上田駅 1963.7.20
夏の子供達はローカル電車に乗って元気一杯の笑顔.どこのローカル私鉄でも見られた風景.こんな子供達の風景も楽しい夏のローカル私鉄ならではであった。



信越本線を挟んで反対側は別所線上田駅のいかにも夏らしい光景が.1986年の昇圧化前で様々な電車が在籍し丸窓電車も健在であった.1970.8.17

このカラー化は、厳密な色彩情報に基づく再現ではありません。私の記憶に残る「1970年代の色」をたどったものです。当時の街には、今ほどの鮮やかな色はなく、建物も看板も衣服も乗り物も、少し控えめで、その時代らしい色だったのではないでしょうか。半世紀を経て変わったのは風景だけでなく、私たちを包む「色」そのものも大きく変わったようです。



1 件のコメント:

北鉄ノスタル爺 さんのコメント...

電鉄上田駅は遠い記憶に残っています。
当時の信越本線キハ82はくたかの車窓から見えた真田傍陽線のクリーム/青のツートンカラーと、地方私鉄の華やいでいた時代の大きな駅の佇まいが、それぞれに趣を感じました。
画像2枚目の別所線ホームは、1500V昇圧後も比較的変わらず、高架化される直前までこのままだったと思います。