案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、
地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を
回想してみました。
2011年12月17日土曜日
羽鶴の1080が走った日1
1973(昭和48)年、団塊世代は社会人へ、音楽やフッションなど70年代若者文化が大きく変化、給料で買えるようになったマイカー、そこへ国鉄SLブームの到来。マイカーに彼女を乗せ葛生の奥地にある羽鶴までやってきて沿線でSLを待つほほえましい光景も珍しくない時代になった。
地方私鉄ファンの私にとって国鉄SLブームはあまり縁がなく、三脚やカメラ・アルミケースなどを車に積んでドッとやってくるSLファンの光景を見たのは羽鶴が初めて、いや~驚いた。
60年代は沿線を歩いていてめったに同業者に会うこともなかったが、70年代の国鉄SL撮影名所ではこの羽鶴を遥かにこえる三脚・カメラの乱立だったのでしょう。
日鉄鉱業羽鶴専用線の1080 撮影 1973.4.8
各地から葛生の奥の羽鶴まで車でやってきたSLファン
同行した鉄仲間の若き姿も何人か見える
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