案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年4月8日月曜日

尾小屋の残影4

車両の各部さまざま。

撮影:1964.12.30  新小松駅、車庫
キハ1

全面二枚窓 キハ1

 
キハ1のディティール

ホハフ3+ホハフ6

ホハフ6

様々なアーチバー

ハフ3

 
ハフ3

2019年4月6日土曜日

尾小屋の残影3

35mmフィルムとは違ってハーフサイズ・フィルムで撮った写真には独特の雰囲気が写っていることがよくある。スキャニングの取りこぼしコマがあるのも楽しいもので、改めてスキャンして取りこぼしを拾い集めてみました。

新小松で撮ったものには残念ながら駅舎や人などはなく、多くは模型製作のための車両の断片であるが、当たり前の形式写真よりも反って面白いものが写っていたりする。

撮影:1964.12.30  新小松
新小松の車庫風景.この感じがハーフ独特.

あの木造客車の内部はこんなだった。
ホハフ8点描

ホハフ8 (これのみ35mmフィルム)
ホハフ1

車両工場用の台車

キハ1のエンジン

魅力溢れるナロー蒸機の足回り

キハ2

2019年4月5日金曜日

尾小屋の残影2

こちらはすべて35mmフィルムで撮影です。

新小松へ向かうキハ2の単行は各集落から少しづつ客が乗車し新小松近くなると超満員となった。明日は大晦日で仕事も休みで正月の買い物に出かけるのだろう。

新小松にある車庫に到着して訪問記はこの線路図で終わっていた。例によってこの後をビッシリ書こうとノートに空白を残してあるのだが50年間そのままで記憶も消えてしまった。この日は小松にもう一泊せず後金沢へ向かったので、車庫では5号機のこと以外で書き留めるようなことも無かったのだろう。

 撮影:1964.12.30
美しい加賀の山並みを背景に尾小屋からやってきたDC122+ワフ4+ホハフ3+ホハフ6
 新小松-西吉竹

ホハフ3とホハフ6  新小松

発車待ちのキハ2。 ナローの線路の向こう国鉄貨物線に貨車が停まっている。新小松

新小松に到着すると昼食も抜きにして昨日約束していた通り奥から5号蒸機を引き出してもらった。光線状態も良好、気の済むまで同じような写真を撮り続けた。立山重工製の蒸機は産業機関車ふうだが貴重なナローの蒸機であり大満足。尾小屋鉄道の人は親切で欲しくて堪らなかった車両竣工図集まで頂戴した。

ボンネットバスが並ぶ車庫のすぐ脇を走る北陸本線「雷鳥」

中々魅力的なホハフ3。 新小松

ワフ4

 キハ2が5号蒸機を引き出しているところ。上の写真が表に出てきた5号機の姿。

2019年4月3日水曜日

尾小屋の残影1

オリンパスペンSで撮ったハーフサイズのネガに残された尾小屋の記録で、1977年3月に廃止となったそのずっと以前1964年のことです。

この時代はマイカー普及もまだこれからで、新小松へ向かう朝の通勤・通学列車はDC122が客車を5両も牽いていた。鉱山の貨物輸送はとっくの昔にトラックに切り替わっていて、旅客輸送だけでこの後13年もよく生き延びたものだ。
朝の通勤・通学時間帯が終わり、のんびりと朝の陽を浴びた尾小屋構内をオリンパスペンSで記録した。長原の俯瞰写真を撮ったのがこの時で、この日の訪問記を紐解いてみると。


以前、ブログで朝一番に乗って新小松を出発した時のことを掲載したことがあるが、長原の俯瞰写真を撮ってからは終点尾小屋まで歩き、ポケットに突っ込んだ朝食の乾パンもそろそろ飽きてきた。
尾小屋の構内は以前来た時のままで客車が奥にポツンと一両置いてあり相変わらずシーンと静まり返っていた。やがてやって来たのがキハ2の単行であった。
キハ2も派手な朱色カラーに塗り替えられて、以前見た渋い濃淡ブルーがよく似合っていた頃のイメージが一変してしまった。

撮影:1964.12.30
暗く寒い山間を抜けて尾小屋に到着すると、朝の陽を浴びてパッと開けた構内があった。

のんびりと発車待ちのキハ2車内に朝陽が差し込んでいた。

キハ2の運転席と特等席

増結用の客車が休む下に清流が流れる。

元三重交通の木造客車ホハフ7。  
三重から入線した直後はクリーム/グリーンのツートンカラーであった。晩年は鋼体化車体に姿を変えてしまった。


1970年秋の5号蒸機運転会では活躍していた給水タンク

2019年3月29日金曜日

月山と三山線(3) リニューアル

公開日2019.3.29

三山線を初めて訪問したのは1966年まだ残雪がある3月初めだった。
東北私鉄めぐりの全てを終え、秋田で奥羽本線の夜行列車 急行「第2津軽」で上野に向かったものの、郡山で朝を迎えると欲が出てきてまた奥羽本線を北へ引き返し高畠線が出ている糠ノ目で下車した。郡山からBOX席で一緒だった若い乗客と糠ノ目まで話をしたがどんな会話だったかが思い出せない。

先日、ブログにアップした高畠線を撮り終えるとC57の列車に乗って更に北上、山形で国鉄左沢線に乗換え羽前高松に到着したのは夕方であった。国鉄ローカル線の羽前高松から出ている三山線がどんな路線なのか、旅の最後のオマケに訪問したのだった。

この時は羽前高松近辺での撮影が体力の限界、この先に一体どんな街があるのかは次回の訪問とした。山形に引き返してまた夜行列車の急行「出羽」に乗って上野まで爆睡、旅は終わりとなった。帰還して何日か過ぎると東京では地下鉄東西線が中野まで開通した、そんな時代であった。
  
撮影:1966.3.6
奥羽本線の蒸機列車で北上する。

奥羽本線のC57客列車と並ぶ仙山線の素晴らしきED17。山形
ここで国鉄左沢線に乗換えて羽前高松へ向かう。

三山線名物の駅舎 羽前高松駅 
左沢線の羽前高松で降りると味わい深い小さな駅舎があった。ここから月山の入口 間沢まで、月山の山並みを背に果樹園の中をのんびり走るが、始めて訪問した3月初旬はまだ寒々しい冬の光景であった。

左沢線気動車から降りてきた乗換客。 羽前高松

左沢線羽前高松駅のホームの片隅に「三山電車のりば」の看板を掲げて電車が待っていた。けっこう乗換客がいて電車(モハ110形)に向かっていた。  羽前高松

やがてやって来た小さな電車モハ106。

残雪がある果樹園の脇を間沢へ向かって走り去って行った。 羽前高松


地下鉄東西線 中野- 高田馬場間が開通した日の中野駅。1966.3.16
4番線の行先方面が竹橋までで大手町は未開通で消してある。 
中野で見たEF11.