案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年3月28日水曜日

筑波鉄道が消えて31年(4) 最終日の夜

2010年にスタートしたブログもお蔭さまで今春で8年。4月に入ると、ブログからの展開で色々な活動がスタートします。4月2日にはそれをお知らせします。
(意味不明の文章で申し訳ありません、訂正致しました。8年ぶりのブログ更新?ではありません)


1987(昭和62)年3月31日、真壁に最終列車が到着し筑波鉄道はすべてを終えた。あれから今年で31年、本ブログでは2011年2月から「最後のつくば鉄道」を連載し、最終日のことも何回か紹介してきましたが、もう一度リニューアルしてみます。

昭和62年4月1日、JR誕生で新しい時代を迎えた日。その前日の3月31日は「国鉄」時代最後の日であった。と同時に筑波鉄道最後の日でもあったが、JR誕生前夜の大ニュースに隠れて筑波鉄道の廃線は殆ど話題にならなかった。
筑波鉄道の最後の日、私は仕事を終え夜の筑波駅に向かった。今夜で終わる筑波駅を撮って真壁へ向かい、真壁止まりの最終列車の到着を待った。桜が咲き始めた春とはいえ、この日はかなり冷え込む夜で震え上がった。

最後の夜を迎えた筑波駅はひっそりとしていた。1987.03.31

真壁駅では刻々と最終列車到着の時間が迫っていた。

筑波鉄道にお別れに来た地元の人たち。真壁駅

車体に描かれた「70年の長い間ありがとうございました」

大変に冷える夜遅く、最後を見届けようと早くから人々が駅に集まり、最終列車の到着を待っていた。

真壁に到着する最終列車.1987.03.31
22時過ぎ真壁止り最終列車が到着。真壁の下りホームは地元の人々で溢れ、お別れに来た人々の歓声の中をキハ761+505が到着し、筑波鉄道の歴史は終わった。

桜が開花した下を気動車は上りホームに移動し、セレモニーの後、別れを惜しむ職員と家族が記念写真を撮っていた。

真鍋の車庫へ引き返すキハ761が闇夜に消えて行く。ごくろうさまでした、最後まで名残りを惜しむ地元の人々。

「まかべ」の表示板を外しているのだろうか。
これで筑波鉄道の全てが終わり、真っ暗闇の真壁を後にした。
ついこの間の出来事のように感じるが、あれから31年も過ぎていた。


2018年3月23日金曜日

筑波鉄道が消えて31年(3) 北筑波

筑波駅の北方をもう一度取り上げてみます。

加波山を背景にした紫尾(しいお)駅  1987.3.28

紫尾 - 酒寄  1987.3.28
真壁から筑波方面へ向かい常陸桃山を過ぎると、筑波山が背後に迫ってきて紫尾(しいお)に到着する。この先の木立や竹藪の脇などをカーブする辺りが、最も好きな撮影ポイントであった。
筑波駅の北方

筑波~岩瀬の中間にある石の町 真壁

廃線直前の真壁駅 1987.3.28


樺穂(かばほ)

筑波山を背景に夕暮れを行く列車。樺穂あたりから見る 筑波山が魅力的であった。筑波北方の中心地 真壁近辺には紫尾(しいお)、常陸桃山、樺穂(かばほ)、雨引 といった素敵な駅名が多いが、この山裾一帯は昔から人を惹きつけける土地のせいで旧所・名跡が多いのだろう。夕暮の樺穂を訪れてみた。樺穂 1987.3.22

樺穂(かばほ)

東飯田-樺穂 1987.3.28

筑波山を背にして  東飯田 1987.3.28

国鉄水戸線と接続する岩瀬駅 1987.1.18

2018年3月18日日曜日

筑波鉄道が消えて31年(1)

1987年3月31日の真壁発最終上り列車をもって筑波鉄道が消え、あれから31年が経ちました。ブログの「最後の筑波鉄道」シリーズは記事20本ほどになり写真が出尽くした感がありますが、ハイライト(再掲)と未公開画像をアップしてみます。

筑波鉄道と言えばこの1枚。 筑波 - 北条 1987.3.8

筑波山麓にこんな気動車も走っていた。キハ301  1987.3.8

 廃線が迫る筑波駅 1987.03.22
とっくにマイカー時代になっていたが、鉄道を利用して筑波山へ向かう観光客で筑波鉄道も賑わいがあった。日本がバブル期に入った頃。国内の乗用車人気がピークを迎えた時代。


筑波駅  1987.03.22

最後の筑波鉄道 常陸小田

1987年の3月、肌寒い日もあれば春の陽気も感じられる丁度今頃の季節。3月31日の廃線で消える常陸小田駅に桜の蕾が膨らんでいた。

Facebook(私ではありません)に沢山の地元次世代の人たちから、失われた筑波鉄道と常陸太田駅を惜しむ声が寄せられていました。

"若い人がまだ気づいていない日本の良さをもう一度引き立てて、通学通勤で利用してた皆さんにも喜ばれるような再活性化ができればこの上ない賑わいが生まれるのではないか・・・・"  

こんな声がありましたが、私もいつも思うのはこのような日本の良さを少しでも残していて欲しいものです。現在の常陸小田駅跡はどう変わったのでしょうか。駅近くの廃線跡は何と小田城跡歴史ひろばになっていました。

昨日から、2011年3月21日にアップした「最後の筑波鉄道 常陸小田」にfacebookからのアクセス数が跳ね上がっていました。

桜満開が近い常陸小田駅  1987.3.14

常陸小田駅  1987.3.14

2018年3月15日木曜日

野上電気鉄道 日方驛

とっておきの1枚です。

日方 1965.8.4

夏の日の昼下がり。日方駅ではこんな光景が見られた。
駅前の売店の上に掲げられた得体の知れない看板。沿線観光案内のようで、どこの路線でも駅によくこんな看板があった。右手立看板の納涼ナイターとは?
左に停車しているボンネットバスから降りてきたのか、駅に向かっているベテラン運転手と若い車掌。電車ではなくバスのコンビで、親子くらいの歳の差なのだろう。

電車の発車までまだ時間があるようで、待合室では乗客が改札開くのを待っている。
木板に手で書いたような日方驛の看板。
コンビニ、自動販売機、ワンマンのバスや電車、携帯電話なんて無かった時代。
小さな電車が発車するまで、夏のひと時の長閑な空気感。
 

2018年3月12日月曜日

昭和41年 美しい福島2

1966年12月に改修されたばかりの「さいわい橋」 1966.12.31
曇天の大晦日、ここだけは清々しい朝の風景があった。

2018年3月8日木曜日

昭和41年 美しい福島1


福島交通軌道線「さいわい橋」 1966.12.31
唐橋宙子さんが唄う「虹を(feat.フラガール)」を聴いて目に浮かぶ美しい福島。

2018年3月4日日曜日

竜ケ崎線の歴史をたどるパネル展示

関東鉄道竜ヶ崎線の歴史をたどるパネル展示が龍ヶ崎市内で開催されます。
3/6(火)〜25(日)まで龍ケ崎市内ショッピングセンターギャラリーにて2部構成で実施します。
龍ヶ崎市地域公共交通活性化競技会主催。企画担当:茨城県立竜ヶ崎第一高等学校。



2013年11月の記事「 竜ケ崎線の小さな旅」より
竜ヶ崎線唯一の中間駅 入地.1963.8.17
駅裏に干された洗濯物、どこまでも一面に拡がる田園など長閑な沿線風景があった.


元国鉄キハが待つ竜ヶ崎線佐貫駅の改札口.

2018年2月23日金曜日

加悦鉄道 大江山鉱山と小型蒸機(続)

加悦鉄道は過去に「大江山鉱山と小型蒸機」など何本かアップしましたが、小型蒸機についての続編です。
加悦鉄道が発着していたのが宮津線の丹後山田駅。今や丹後山田や加悦という駅名も別名になってしまい、当時のイメージが益々遠くなってしまった。

なんとC51が鈍行列車を弾いていた。宮津線の丹後山田駅に下りると片隅に加悦鉄道のりばが見える。 1962.7.31

国鉄宮津線丹後山田駅の片隅にある「加悦鉄道線のりば」で日本冶金工業㈱岩滝線の仕事をしていたのか、4号機が休んでいた。                    

丹後山田で発車を待つキハ15の運転台。

あっという間に到着する加悦の長閑な風景。

加悦機関区の4号機 川崎造船 大正12年製。
左側面を見ると。

加悦駅の古典客車。

 C160号機 昭和17年大江機械製作所製。日本冶金工業が購入し専用線に使われていたのを引き継いだ。

大江山を望む加悦の機関区に休む C160、1261、2号機。





加悦鉄道を終え移動する途中の舞鶴駅でみた国鉄蒸機96。
生きている現役蒸機の美しさ。

2018年2月14日水曜日

広田尚敬「 Fの時代」

品川にあるニコンミュージアムで1/5~3/31日まで開催中のニコン企画展、広田尚敬「Fの時代」を見てきました。昭和36年~昭和45年頃まで「ニコンF」で撮影した60点あまり。蒸気機関車はやはりモノクロに限るであった。

機関車のディテールを潰さず、どうしてこんなに白と黒の階調がきれいに出るのか、プロカメラマンの光の捉え方や機材もさることながら、今ある最高レベルの技術で処理印刷されているところが大きいのでしょう。写真の躍動感は広田尚敬プロならでした。
特に人を入れた客車内がなんと魅力的か、最も汽車を感じさせてくれた。
今回の作品は2009年発行の写真集「Fの時代」に収録されたものだそうです。

ニコンミュージアムの一角に写真展会場があった。

2018年2月10日土曜日

昭和53年 赤城山麓 上毛電鉄

赤城おろしの空っ風が吹く大湖を訪れたのは、すっかり鉄撮りもやめていた昭和53年の1月であった。私の鉄道モノクロネガの最後になる。
あの頃、東京に近い中小私鉄の中で上信・上毛電鉄は魅力乏しい路線がであったが、40年が経って当時を写真で見ると、カレー色の生え抜きデハ100形やデハニ52が走っているだけで上毛電鉄も魅力的な時代であった。

この頃はマイカーを利用して撮りに行けるし、カメラも一眼レフに交代し、土日にどこへでも撮りに行けたのに、鉄撮りは中止。1970年代になっても関東一円にまだまだ魅力ある私鉄路線があったのに惜しいことをしてしまった。


今やすっかり有名になった大胡の車庫。1978.1.14 

大胡駅の風景。デハ81(元東武)  

赤城おろしの空っ風に吹かれて走るデハ100形。

カレー色した生え抜き電車。 デハニ50形52


空っ風吹く桑畑を行く デハ800形801。



西武のクモハ351形とクハ1411形がどっと入線してきた頃。大胡