下津井電鉄の下津井手前にこんな大カーブの名所があったのですね。
1962年に電車から見て再訪を決意した風景。それから26年を経てそこは造成が始まっていた。瀬戸大橋が開通した1988年4月10日がついこの間のように思えるが、なんとあの日から30年も過ぎていた。そして今の自分の年齢から30才引いてみると、これを撮った時は信じられない若い自分であった。
撮影:1988.4.9
案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。
2017年11月10日金曜日
2017年11月8日水曜日
金沢市内線の異端児
街並みでスタートした「金沢の街」の写真にコメント戴き、1枚目の写真からいろんなことが浮かび上がってきました。
電車の背後に写った街並みに今も残っている建物があること。あの区間が金沢駅前のループ単線区間であったこと。行先表示が金沢駅到着前に寺町行に変えられていたこと。そして元琴平参宮鉄道の電車を改造した金沢市内線では異端児の電車であったこと。
こんな元琴平参宮の電車と金沢の街並みの組合わせは僅か3年あまりで終わってしまった。
1963年(昭和38年)に廃止された琴平参宮電鉄からデハ81と83を譲り受け、狭い道幅に適合させるために車体を切り詰めるなど原型をとどめない大改造が行われて翌1964年使用開始。市内線廃止後はモハ2051とともに福井鉄道へ譲渡されてモハ511, 512となっていたが、同じく1969年(昭和44年)に廃車されている。wikipediaより
電車の背後に写った街並みに今も残っている建物があること。あの区間が金沢駅前のループ単線区間であったこと。行先表示が金沢駅到着前に寺町行に変えられていたこと。そして元琴平参宮鉄道の電車を改造した金沢市内線では異端児の電車であったこと。
こんな元琴平参宮の電車と金沢の街並みの組合わせは僅か3年あまりで終わってしまった。
金沢の街並みを行くモハ2062(元琴平参宮電鉄) 1964.12.31
1963年(昭和38年)に廃止された琴平参宮電鉄からデハ81と83を譲り受け、狭い道幅に適合させるために車体を切り詰めるなど原型をとどめない大改造が行われて翌1964年使用開始。市内線廃止後はモハ2051とともに福井鉄道へ譲渡されてモハ511, 512となっていたが、同じく1969年(昭和44年)に廃車されている。wikipediaより
こちらも異色のモハ2051(元武蔵中央電気鉄道→北鉄金石線→金沢市内線)
撮影:田辺氏 1964.10.05
撮影:田辺氏 1964.10.05
2017年11月7日火曜日
金沢駅前のループ線。
北陸鉄道金沢市内線の金沢駅前のループ線はこんなでした。写真は1963~1964年撮影です。私が訪問した時に撮ったのは1枚目の写真で、この時はループ線に気付きませんでした。田辺さんが撮った4枚を時計周りループ線がある路線図と対比してみました。

金沢駅前のループ線。鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり第3分冊(1962年)より
金沢駅前で行き止まりに見えたが、そうではなかった。1964年12月
駅前で向こうから電車がやってくる。1963年7月
電柱の表示を読むとこれが金沢駅前の電停のようだ! 1963年7月
軌道が駅前で急カーブで曲がるのが判る。電車は常に左方向に向かっている。1963年7月
金沢駅を背にして2系統「寺町」行きがループ線を時計廻りに進行している。1963年7月
2017年11月4日土曜日
久しぶりの多摩湖線
最近、一眼レフやミラーレスの出番は全くなく、撮影はもっぱらアイホンです。
アイホンは54年前に使ったオリンパスペンによく似た使い勝手のよさです。きっちり計算して狙った鉄道写真ではなく、時代を記録する写真では望遠ズームも不要で、広角気味で連写抜群のアイホンがぴったり、連写を除けばオリンパスペンと同じ感覚です。今ではなく何十年か経って真価が出る鉄道写真は時代の記録でしょう。ぶらっと多摩湖線一橋学園を用ついでに撮ってみました。
アイホンは54年前に使ったオリンパスペンによく似た使い勝手のよさです。きっちり計算して狙った鉄道写真ではなく、時代を記録する写真では望遠ズームも不要で、広角気味で連写抜群のアイホンがぴったり、連写を除けばオリンパスペンと同じ感覚です。今ではなく何十年か経って真価が出る鉄道写真は時代の記録でしょう。ぶらっと多摩湖線一橋学園を用ついでに撮ってみました。
2017年10月24日火曜日
大牟田線 甘木線の小型電車
私が撮った2年後の1969年、やはり田辺さんも大牟田線の同じ場所で撮っていました。更に大牟田線の「はなばたけ」で甘木行きの小型電車モ200形を撮っていました。小型電車モ200形が甘木線専用になったのは1969年からのようです。
撮影:田辺多知夫氏 1969.2.15
大牟田線を行く小型電車モ200形。筑豊本線との立体交差近辺。
「はなばたけ」に並ぶ甘木行き小型電車モ200形。
2017年10月22日日曜日
2017年10月21日土曜日
原田のC55
西鉄大牟田線の電車を思い出し、筑豊本線原田のネガをスキャンしてみました。原田のC55は1枚だけ以前アップしたことがあります。
美しいC55を撮りに原田駅に降りたのは1967年春であった。原田から宝満川鉄橋まで歩き筑豊本線と西鉄大牟田線と狙ったが、一面に田畑が開けた単調な風景で次々やってくる西鉄電車の写真はワンパターンになってしまい、フィルムと時間の無駄遣いに終わってしまった。こういうことになるので大手私鉄の電車は滅多に撮ることがない。
1967.3.6
どこまでも一直線に走る西鉄大牟田線とクロスする筑豊本線のC55旅客。
原田駅のC55
原田を発着する筑豊本線にはC55列車が日中上下14本も走っていた。
門鉄デフを装備した美しいC55
D60 原田
2017年10月19日木曜日
西鉄福岡市内線
先輩のアルバム・シリーズ。
昭和38年の福岡にまだこんな光景があった。
この木造車は昭和45年まで走っていたようだ。
昭和38年の福岡にまだこんな光景があった。
この木造車は昭和45年まで走っていたようだ。
101形102号 天神 1963年7月
昭和38年、こんなアメ車がまだ走っていた時代だったのですね。東京でも走っていたかも知れないがクルマに関心がなかったせいか全く記憶にない。木造電車よりもアメ車に驚かされる。
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