案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年9月5日月曜日

長崎のきっちんせいじ

長崎の眼鏡橋ちかくにある「きっちんせいじ」という楽しそうなレストラン。
お店の長崎電軌は何をモデルとしたのでしょうか。
一度入ってみたいものです。

最近のお店


長崎駅前の古典車160形 1967.03.02.  

 あの古野電気の前を行く170形(元西鉄) 長崎駅前 

思案橋から蛍茶屋へ向かう160形(元西鉄) 西浜町(アーケード前)


こんな木造単車が走っていた時代もあったのですね。

2016年9月1日木曜日

栗原電鉄 元ナローの電機

栗原鉄道の軽便時代の名残はED20形電機にあった。小さな軽便ボディーに762→1067mmゲージに改軌した台車。このガニマタスタイルは模型でいえば1/80 9mmナローを13mmゲージに改軌したようなものである。

軽便時代の電化そしてED20形3両の導入が昭和25年9月、762→1067mmゲージに改軌が昭和30年9月、この電機が軽便時代に走ったのは5年程度であったことになる。
(画像は2010年6月にアップ済の再掲です)

撮影:1966.03.01
ED202  若柳

ED202  若柳

若柳に休むED20形

田んぼを行くED20形

2016年8月3日水曜日

最上川沿いを北上する

昭和46(1971)年5月の連休に最上川沿いを北上したことがあった。
長井線の長井駅前旅館に泊って、米坂線の宇津峠の96を撮ってから、
今泉を後に最上川沿いをのんびりと北上し左沢へ向かった。

米坂線の96

米坂線と長井線の接点今泉.1971年05月

米坂線の96  今泉

長井線長井の駅前旅館「和泉屋」に泊まる.

 朝日連峰を望み月山へ続く砂利道.

 最上川沿いを北上する砂利道.

 5月の木々と最上川沿いの集落.朝日町あたり

集落を拡大してみると茅葺き屋根の民家が懐かしい.

最上川の向こうに連なる白銀の山並み.

2016年7月29日金曜日

扇町を訪ねて

以前こんな記事をスタンバイしてあったのを忘れていました。
三井埠頭の1、3、5号機は既に紹介ずみですが、昭和39年12月の扇町界隈はこんな風景でした。

尻手から浜川崎へ 1964.12.25

浜川崎の国鉄C11

鶴見から扇町へ

三井埠頭1号機(ピーコック)と5号機(汽車会社)が働いていた現場.
こんな現場に立ち入るのをよく許可してくれたものです。

 三井埠頭5号機(汽車会社)


 憧れの三井埠頭1号機(ピーコック)

2016年7月22日金曜日

新潟交通 昭和の街並み

RMライブラリー204巻 寺田裕一さんの新潟交通電車線(下)が発売されました。
そこで県庁前-東関屋の街並みカラーを再度掲載してみます。

県庁前-東関屋   1968.08.17

県庁前-東関屋 1968.08.17

 県庁前-東関屋 1968.08.17

元小田急のクハが道路上を行く.県庁前-東関屋 1968.08.17

 雨の県庁前 モハ16(元国電旧伊那)+クハ36(初代モハ16) 1968.08.16 

クハ37(元国鉄41000形) 東関谷

東関谷駅の風景 形式モハ17(元東武デハ2形) 1968.08.17

 モワ51 東関谷

 クハ46 元小田急 東関谷.元はつまらぬ小田急デハ1408でも新潟交通仕様になっているところが魅力的です。

2016年7月11日月曜日

弘前の想い出

夏の津軽めぐりで訪れた弘前城の写真から、弘前の裏町から発車している弘前電気鉄道(紹介済)のことが思い起こされた。写真に7年の差があるが昭和48(1973)年は各地にまだまだ1960年代の風景が残されていたのだろう。

弘前城を訪れたのが1973年夏. この近くにある弘前電気鉄道を訪問したのは、この7年前1966年3月であった。


1973年、津軽から日本海側を五能線沿いに走ると、未舗装の凸凹道、古びた木造旅館、ドラムカン・自転車などの生活用具、いかにもその時代らしい風景が懐かしい。 旅館兼ガンガラ穴案内所

中央弘前を出た木造車は土淵川沿いに裏町を走り県立弘前高等学校の前でカーブする.
元国鉄のクハニ200形は最後まで木造のまま使われた.弘高下 1966.03.03

倉庫からリンゴの香りが漂ってきた西弘前駅  

クハ202+モハ105

2016年7月10日日曜日

昭和38年 あの頃の流山電気鉄道

以前、本ブログで遠い昔の流山電鉄を紹介したことがありましたが、↓1枚目の写真に縁が深い方からコメント戴きました。昔、ここに住まいがあって中央の小屋のフロ場に入っていたそうです。そういえば私も父が務めていた職場のフロによく入りに行った記憶があります。

撮影 1963.3.31
 崖の下の流山駅奥の佇まい. 

この小屋がフロ場でしたか!  給水タンクの水を小屋に引いて従業員用フロ場としたのでしょうか. 少し前までボールドウィンのサドルタンクが使っていた給水塔でしょう。
そして奥に小さな電車庫、まるで模型のような世界。


けだるい午後の日差しのもと、流山駅の長閑なひと時.
まだ携帯などない時代、女学生達?は何をしていたのでしょうか.



以下も再掲ですが懐かしき流山電鉄の風景を大きい画像で。言い尽くされた車両の型式や経歴などはどうでもよく、この時代の沿線風景が懐かしいものです。

右手に醤油工場に行く引き込み線があった.

沿線は自然豊かで長閑な田園風景だった.

この頃の馬橋駅にはローカル私鉄のりかえ駅の風情が溢れていた.