上武鉄道の終点西武化学工場内にある機関庫に並んだ1886年英国ナスミス・ウィルソン製4号機とピッツバーグ製7号機。この対称的な英国系と米国系機関車を写真で比較してみました。
案内文章
高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。
2016年4月15日金曜日
2016年4月12日火曜日
京浜急行デハ230形
あの京急デハ230形の3連を昭和38年に杉田で撮っていたのを思い出しました。
デハ230にクハ140を組み込んだツートンカラー(赤と黄)の疾走に憧れたのはこの写真の10年以上昔の幼児の頃でした。横須賀の親戚の家に泊まり高台から何回も眺めたその疾走は、O番模型で合葉兄弟のDC2線式レールの電車がぶっ飛ばす光景の思い出と重なります。しかしこの写真を撮った昭和38年は既に憧れは軽便に移りデハ230形に憧れたことなどすっかり忘れていた時でした。
デハ230にクハ140を組み込んだツートンカラー(赤と黄)の疾走に憧れたのはこの写真の10年以上昔の幼児の頃でした。横須賀の親戚の家に泊まり高台から何回も眺めたその疾走は、O番模型で合葉兄弟のDC2線式レールの電車がぶっ飛ばす光景の思い出と重なります。しかしこの写真を撮った昭和38年は既に憧れは軽便に移りデハ230形に憧れたことなどすっかり忘れていた時でした。
2016年4月6日水曜日
昭和38年東京の自動車(都電杉並線3)
昭和38年青梅街道の街並みの写真を見ると、あの「三丁目の夕日」(昭和34年想定)のような東京のイメージがまだ残されています。荷満載のトラック、レトロなクルマ、ボンネットバス、都電、商店の建物と看板、遠くまで広々とした空、背の低い立木など。こんな東京の街並みは昭和40年に入って刻々と変貌して行った。
都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫
高円寺陸橋から見た街並み.
鍋屋横町の子供たち
さよなら杉並線にかけつけた人々. 荻窪駅
2016年4月3日日曜日
昭和38年東京の自動車(都電杉並線2)
都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫
14系統杉並線新宿駅(新宿大ガード)
東京にこんなクルマが走っていた時代.
小田急デパートの前を左へ向かうと杉並線新宿駅
手前の古い建物は移転した精華学園女子高では?
手前の古い建物は移転した精華学園女子高では?
青梅街道らしい風景. 本町5丁目
成子坂下
2016年4月2日土曜日
2016年3月31日木曜日
扇町のピーコック
昭和38~39年頃の三井埠頭では1号、5号、7号機の中で汽車製造5号機が主に動いていた。
昭和39年12月訪問時は運よく1号機が動いていた。この1号機はピーコック5500形を2B1形タンク機に改造したB10形(小湊鉄道に保存)のような、英国系2B形テンダの改造機のようであるが正確なところはよく判らない。
川崎鶴見地区で撮影できた号機
第一セメント 1404, 17
三井埠頭 1, 3, 5, 17,
日本鋼管 10, 12, 18, 105, 124,
第一セメント 1404, 17
三井埠頭 1, 3, 5,
日本鋼管 10, 12, 18, 105, 124,
小さな機関庫の前で 三井埠頭 1号機. 1964.12.25
背後は正に高度成長期の煙でかすむ川崎工業地帯
2016年3月28日月曜日
2010年 多摩湖線の春
多摩湖線の春を撮りに行ったのは2010年であった。一橋学園~国分寺間にある本町信号所(交換所)の脇にある大きな木立の周辺を様々な角度から狙ってみると、武蔵野の木立が桜と組み合わさると一層引立つ感じで、桜が終わると木立が芽をふきて色合いが刻々と変化していくのが楽しみだ。
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