案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年1月13日水曜日

ロクサン形電車

相模鉄道と小田急ののロクサン形電車を集めてみました。小田急のロクサン形1800には随分お世話になったが、昭和30年前後? に相模鉄道ツートンカラーのロクサン3000系が新宿方面へ走っているのを小田急喜多見駅で見たときは驚いた。昭和30年代に夏期限定で小田急に貸し出されたことがあったそうだ。

1946年から、運輸省(鉄道軌道統制会。のち鉄道車輌統制会)の統制の下、大手私鉄に運輸省標準型電車としてモハ63形を割当供給し、その代わりに中小型車を地方中小私鉄に譲渡(供出)させることになった。1948年までに合計120両が統制会の手を通じて各社に供給された。(wikipediaより)

撮影: 田辺多知夫
相模鉄道3000系  本厚木→横浜行き小田急乗入 海老名 1963.07.08

相模鉄道3000系横浜行 海老名 1963.07.08

相模鉄道3000系 1964.06.01 

小田急1800形車体更新後   相模大野  1963.07.08 

小田急1800形  1964.11.13 

以下はロクサンがいた頃の風景です。

相模鉄道2000系 横浜→本厚木行き小田急乗入 海老名  1963.07.08

 小田急NSE(1963年3月運用開始)が田んぼの中を行く海老名駅風景 1963.07.08

相模鉄道でこんな6000系が登場していた。 海老名 1963.07.08

昭和30年に登場した相鉄5000系 1964.06.01

2016年1月10日日曜日

庄内交通 砂丘の中の七窪駅

昭和41年の「東北私鉄めぐり」は田辺さん青蛙さんと一緒で、2月27日上野発21:00の上越線羽越線まわり秋田行急行「羽黒」のナハ11に揺られてうす暗い温海駅に到着したのが翌朝5:30。冷たい雨の中を日本海沿いに走る羽越線C57の撮影からスタートした。9日間の旅で旅館に泊まったのはたった1泊のみ、あとは東北周遊券で夜行列車を使った毎夜の車中泊であった。朝食を抜けば一番列車から撮影できて、すこぶる効率が良いのだが空腹と寝不足の旅であった。こんな旅に耐えたのも次々消えゆく地方私鉄を記録しておきたい一心からであった。


海岸沿いの羽越線列車を小岩川近くでしばらく撮って、DF50が牽く日本海に乗って庄内交通が出ている鶴岡に到着したのが昼頃。鶴岡を発車した1両の電車は雄大な出羽三山を望む庄内平野をしばらく走ると交換駅の善宝寺に到着する。ここから風景が一変し、松林の中を抜けると砂丘が現れそこに七窪駅があった。終点の湯野浜温泉まで乗って終着駅と日本海沿い温泉町の家並みを撮って七窪に戻る。ここで三人は思い思いの撮影ポイントを探して散りぢりとなり、田辺さんは望遠レンズで七窪のこんな風景を捉えていた。以前アップした私の45mmレンズで撮った七窪とはだいぶ感じが違って見える。

1966.02.28 撮影:田辺多知夫
庄内砂丘の中にあった七窪駅 
このあたりの海岸は昼前に見た荒海の日本海と違って、松林連なる遠浅の砂浜のためか日本海独特の暗いイメージはなく明るい感じの海岸線で、別荘風の気の利いた建物が1軒ポツンと立っていた。トゲの植物が生い茂る七窪の丘陵を登ると松林の向こうに穏やかな日本海が見え鶴岡行の電車がモータをうならせて勾配をゆっくりゆっくり登って行った。七窪駅の貨物線の端には使われなくなった2軸客車などが置き去りになっていて、車庫もどうやら使われていない様子、ひと気のない寂しげな駅はムード満点であった。

七窪の風景にふさわしいモハ7(元京王電軌)が盛んに往復していた。

日本海から離れた民家でも風よけの囲いがあった。 善宝寺-七窪

善宝寺を過ぎ田圃と松林の間を走ってから松林の中に入る。
善宝寺~七窪の松林区間を行くモハ8

善宝寺駅へ進入するデハ101

2016年1月6日水曜日

昭和41年 富山地方鉄道

毎年この季節になると京王百貨店新宿店「有名駅弁大会」で、今年で第51回、明日1/7日から1/19日まで開催されます。今回の私鉄は富山地方鉄道/宇奈月温泉駅の駅弁が初登場、これは楽しみです。そこで田辺さんが撮った昭和41年富山地鉄を初登場してみました。富山地方といえば北アルプス立山連峰、背後に写るスケールの大きい立山連峰がいかにも富山地方鉄道らしさを感じさせてくれます。
宇奈月温泉駅 新作駅弁

 1966.12.10   撮影:田辺多知夫
7520形(7525)

急行宇奈月行 14780形(14781)

急行富山行 14750形(14755)

富山行 7520形(7523)

7520形(7525+125)

2016年1月3日日曜日

小私鉄めぐり記事

子供の頃によく読んだ「鉄道模型趣味」誌の小私鉄めぐり記事に車両紹介と共によくこんな情景描写の文章があって、これを読むと小私鉄の情景が目に浮かび強烈な印象が残っています。小私鉄で何を見て何を感じたかは訪問した者でなければ書けないこと。昭和30年に発表された1219生さんによる西大寺鉄道の記事の一部を昭和37年に撮った風景と対比してみました。

財田 1962.07.29

キハ7  財田  1962.07.29

岡山の一つ隣、山陽線の東岡山という田舎駅のすぐ前に、西大寺鉄道の財田の小さい駅がちょこんと建っています。ここは全線のほぼ中間で今はただ一つの交換駅、カタリンカタリンとディーゼル特有のアイドリングの音をさせている車を気にしながら、あわてて切符を買いますが、この切符はモデルのペーパー車両用の白ボールそっくり。何も急がなくても車はゆっくり待っていてくれるのですが、そこは日ごろのくせで・・・。 

皆さんが乗り込んだとみるや、やおらタイフォンを鳴らしクラッチが入ります。ゲージも小さく車体も小さい。タブレットも又小さい。乗っている人間だけがどこも同じスケールです。道に沿い自転車と競争します。止まりました。停留所でした。道端に石が積んであるのがホームらしく、お客は道を行きかう自動車の砂塵をあびつつ待たねばなりません。切符を売っている家には永利駅という看板がでています。他の駅も似た様なもので、一寸土盛りしたホームの上に犬小屋が置いてあって、犬が吠えついていたり、ささやかな家庭菜園が作ってあったり・・・。 

畑の中の小川を渡り、やぶの横を曲がり、終点西大寺のバスと共用の堂々たる建物に着きます。車庫はバスのそれとつづきで、キャブオーバー等の車体の並ぶ中を通り抜けて訪問致しました。ともあれ動車、客車はマルーンに白線入りのいでたち、カップラーはアサガオ形の軽便スタンダード。

 西大寺の車庫 1962.07.29

2016年1月1日金曜日

新年

明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます

昨年も皆さまからのアクセス、コメントをありがとうございました。
おかげさまで1日のアクセス(訪問者数)目標が昨年も維持できました。
やがてやってくる低迷期まで飽きずにモノクロ・ブログを続けるつもりです。


1968年1月の尾小尾鉄道 DC121  新小松 


レストア中の尾小屋DC122 2015.09.06
エンジン整備などは本職でお手のもののようです。

昨日の尾小屋DC122 2015.12.31
上の写真から4ヶ月、那珂川清流鉄道保存会でのレストアがほぼ完了。
昨日、那珂川清流保存会を訪問された方の写真をお借りしました。

2015年12月23日水曜日

花巻温泉行きの軽便電車4

鉄道線シリーズの最後は馬面電車です。
馬面電車については以前ブログで2回アップしたことがありますが、この時はデハ1、デハ3、デハ5(木造)の3両を電車区で撮ることができました。残念ながらもうラッシュ時でも滅多に使われることはないようでした。馬面電車の車両写真を撮り終わった頃、幸いにデハ3が何やら台車を牽いて動き出し鉄道線へ消えて行きました。

デハ56と並んだデハ3 花巻  1964.08.03

お伴を牽いたデハ3が鉄道線に出動. 花巻

鉄道線の林の中に消えて行った馬面電車. 花巻

アカ抜けした外観だが新型ではなかったデハ57(昭和33年製) 1964.08.03

デハ57の後に生まれたピカピカの新車モハ28(昭和38年製) 1964.08.03
花巻の最新型は軌道線仕様のこちらであった。正面2枚窓の問題は3枚窓に改良されている。

2015年12月20日日曜日

花巻温泉行きの軽便電車3( リニューアル)

この日は朝から真夏の炎天下で鉄道線で撮った写真の殆どがハイライト白飛びで、このネガのスキャニングをやり直しました。
終点花巻温泉の駅は軌道線の終点西鉛温泉とはえらい違いで、軽便とは思えない大変立派な終着駅。温泉街の入り口となる駅は人でにぎわい軽便電車がしきりに往復していた。高級感ある立派な温泉街で今も栄えていることでしょう。


軽便とは思えない立派な花巻温泉駅  1964.08.03 

温泉通いの電車が栄えていた時代の光景.

電車が来るまでのんびりした軽便風景を木陰に休んで楽しむ.

夏の陽がサンサンと照り付けるホーム.

人で賑わう花巻温泉三角屋根の駅舎

電車を降りて駅前に出ると花巻温泉街が待ち受ける.花巻温泉街から更に進んだ離れたところに台温泉がある.

オリンパスペンで撮った形式写真だがトレーラのことより背後に写った立派そうなホテルや旅館の看板など、当時の風景が気になるところ.

2015年12月18日金曜日

花巻温泉行きの軽便電車2( リニューアル)

デハ57.花巻温泉近く   1964.08.03 

前日の曇天とうって変わって翌日は真夏の炎天下でやっと夏らしい日差しとなった。花巻で鉄道線に乗って花巻温泉へ向かう。鉄道線はレール、道床などがしっかりしていて電車も新しく綺麗でしょぼくれムードは全くなかった。沿線は平凡な風景で東北の田園地帯という感じであった。

 
炎天下 東北の田んぼの中を行くデハ57.

交換可能駅 瀬川

木立に囲まれた花巻グランド前

真夏の雲と花巻グランド前駅


瀬川を渡る

2015年12月17日木曜日

花巻温泉行きの軽便電車1( リニューアル)

花巻から花巻温泉までの鉄道線は2011年6月に「花巻温泉行きの軽便電車」で紹介してから4年経ちました。その後の画像大型化や新たにスキャンした画像などを織り込んでリニューアル版とします。

賑やかな「花巻温泉郷」行電車のりば  1964.08.03
花巻駅のホームは左が軌道線、右が鉄道線のりばとなっている。花巻温泉、台温泉、志戸平温泉、大沢温泉などの温泉マークが賑やかに並ぶ。温泉郷への足としてまだ軽便鉄道が使われていた最後の時代。

花巻電鉄の花巻駅からは豊沢川沿いに志戸平温泉、鉛温泉などへ向かう軌道線と、花巻温泉、台温泉へ向かう鉄道線が出ていた。鉄道線は立派な専用軌道で電車もポールではなくZ型ビューゲルと、軌道線のようなトロリーラインのムードはなくファンにはあまり注目されなかったようだ。
鉄道線は電車も軌道も立派で、太いレールを使ったしっかりした軌道は砂利に埋もれた軌道線の細い線路とは対称的であった。


花巻駅のホームには鉄道線と軌道線が並ぶ.1964.08.02

鉄道線とは対称的な軌道線西鉛温泉行き

花巻温泉行の鉄道線

花巻を出るとすぐに一面田んぼの中を進む.


どこまでも一直線に進む区間.
なるほど、この新型は運転者にとって全面の支柱が邪魔なのがよくわかる。