案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年9月13日日曜日

那珂川清流鉄道保存会

烏山線のバッテリ式電車“アキュム”を見学した後に訪問した珂川清流鉄道保存会は、烏山駅から那珂川沿いに北上したところの川沿いにあった。ここからは戦前に東野鉄道の終点があった那珂川町小川にも近い。
トロッコから国鉄客車まで実に幅広く様々な車両が保存されているが、本職のトラック業の関係からかエンジン式産業車両のコレクションが最も多いようであった。

今回の訪問では鉱山用の電気式機関車と蓄電池式機関車に注目した。私にとって鉱山用は未知のジャンルであり、一体どんな前歴がある車両なのか全くわからず、次回はよく下調べしてから訪問しようと思っている。大規模で立派な立山砂防工事専用軌道には何故か全く関心ないが、こうした鉱山用や専用線や林鉄用の小さな車両(特に蓄電池式)が活躍した鉄道には惹かれるもの(怪しげの魅力)がある。

奥多摩(日原小学校)跡に保存してあった坑内用電気機関車で、塗装、修理を終えて、グランビー鉱車と共に那珂川に入ってきた(那珂川清流鉄道ブログ記事より)   奥多摩工業氷川鉱山にいた三菱電機製6トン電気機関車でしょうか。


蓄電池式機関車


蓄電池式機関車

以下は展示がこれからの車両。
蓄電池式機関車

パンタ未装着の釧路コールマイン(元太平洋炭鉱) 610mmナロー電機機関車

2015年9月7日月曜日

烏山線のバッテリ式電車"アキュム"

昨日は大学鉄研OB会で烏山線の"アキュム"を乗りに行ってきました。
このバッテリ式電車はよく知られている通り、東北線電化区間を架線からの電力で走り、非電化区間の烏山線をバッテリ電源で走り、両端駅で補充電するバッテリ式電車です。
烏山線の自然豊かな素晴らしい沿線風景を最新の電車が走るのを是非撮ってみたいものです。
そして静かな電車の快適性は当然でした。

烏山線ダイヤから走行時間と両端駅停止時間を時間軸にして、電池の充電量と放電量と残量の関係がどうなっているかが興味深い。この日の休日ダイヤでは烏山駅で1~1.5h、宇都宮駅停車+架線走行で1h程度の充電時間となる。一日の稼働パターンに対して電池容量の選定など、当然ながら烏山線の稼働パターン(充放電サイクル)に的を絞って開発されているのでしょう。

宇都宮10:03発の人気者"アキュム"  2015.09.06
"アキュム"はこの時間から稼働スタートし電池は前夜に満充電されているのでしょう。

 宇都宮から宝積寺まで架線からの電力で走行している車内表示

15分ほど走行し10:17宝積寺に到着、パンタを下げてここから非電化区間を走る

非電化区間をバッテリ電源で走行している車内表示

宝積寺から35分走行して烏山10:57着 パンタ挙げて補充電開始する
次の宇都宮行12:29まで約1時間半の補充電

烏山駅で充電のための電源設備

架線がないバッテリ式電車 烏山駅

床下のリチウムイオン電池は3+2個のようだ。

"アキュム"の後 旅は烏山の奥にある別次元の世界へ続く
防爆仕様の蓄電池式機関車

2015年9月4日金曜日

真夏の福島交通軌道線4

まもなくこの夏も終わりとなりますが、遠い昔のあの炎天下の福島交通軌道線で残された画像からアップしてみます。昭和39年の福島軌道線、変化に富んだ沿線はほんとうに夏がよく似合っていた路線です。

撮影:田辺多知夫氏  1964.07.27

 福島駅前通りを行く貨物列車

 電動貨車ニモ1の馬づらがよく分かります。北町

 日赤病院前のいかにも夏らしい風景

 湯野町から長岡へ向かう湯野町線(飯坂東線)でしょう。
花巻電鉄鉄道線を感じさせる木立と小川と軌道線の組み合わせが魅力的です。

これも湯野町線(飯坂東線)と思われます。

国鉄86と福島電鉄飯坂線の電車が並ぶ福島駅。

2015年8月31日月曜日

日本人が初めてみた蒸気機関車(模型) 2

松代の真田宝物館は屋代線松代駅跡のすぐ近くでした。
宝物館訪問の目的は、嘉永7年(1854年)に横浜に陸揚げされた蒸気車模型を見た絵師が自分の目で書き写した写生絵図が2年前に初めて真田宝物館に寄託されたので、写生絵図とその後の関係を確認することでした。以下は真田宝物館で確認できたことです。

1.樋畑翁輔の遺稿とは何を指すのか? 
松代藩藩士 樋畑翁輔が蒸気車の絵図含め17場面で構成された「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」の絵巻物(12.5m)が翁輔の遺稿であり、これが真田宝物館に寄託された。

この「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」絵巻物は常設展示でなく今回見ることできなかったが、これが展示された時は、取材カメラなどなかった嘉永7年に初めて見た蒸気車を絵師の目を通して描かれた驚くほど克明な絵図現物を見ることができる。

2.写生絵図そのもの(原画)は現存するのか?
「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」絵巻物そのものが写生図絵を集めた原画集であり、樋畑家直系から真田美術館に寄託され現存している。これを元に着色された様々な模写絵が出回っているが原画とは少しずつ異なる。

3.昭和5年に上梓された「米国使節彼里提督来朝図絵」(印刷物)との関係は?
樋畑雪湖が父翁輔の写生絵図原画を集めて上記絵巻物に仕上げ、それを元に編集した冊子が「米国使節彼里提督来朝図絵」で、掲載された絵図↓は写生絵図そのものを印刷化していると思われる。

上図は本の絵を部分拡大したもので、写生絵図を印刷化したので滲みが出ているが、写生絵図原画を撮った部分写真↓を見ると弁装置などが恐ろしく緻密に(当たり前か?)描かれている。

写生絵図原画を撮った画像データの一部.絵師のタッチがわかる.

昭和5年に上梓された「米国使節彼里提督来朝図絵」(印刷物)

日本初は蒸気車だけでなく、泰平の眠りを覚ました西洋音楽(ポピュラー、クラシック)が日本で初めて演奏された場面等もこの絵巻物に収められています。真田宝物館で今後この絵巻物が公開される日が楽しみです。
尚、2013年6月5日の朝日新聞に大英博物館がこれの着色された絵巻物(15m)を美術商から入手し公開を始めた事が紹介されました。


出典
・「松代藩と黒船来航」 松代文化施設等管理事務所 発行 H25年
・「松代」 第28号     松代文化施設等管理事務所 発行 H27年
・「米国使節彼里提督来朝図絵」 樋畑雪湖:著  発行 昭和5年
・「米国使節彼里提督来朝図絵」絵巻原画の撮影データ 松代文化施設等管理事務所 

2015年8月30日日曜日

長野電鉄屋代線 その後の松代駅

2012年3月末で廃線となった長野電鉄屋代線。ペリー艦隊横浜来航時の蒸気車(模型)の絵の元絵(写生画原本)が保管されている松代の真田宝物館を訪問した帰り、今の松代駅に立寄ってみました。

屋代線現役時代の松代駅.松代の町にふさわしい味わい深い駅であった。 2012.03.21

廃線から3年が過ぎた今、松代駅は本屋と3番線ホームが残され、1、2番線島式ホームと構内の線路は消え一面に砂利が敷き詰められていた。廃線後に駅本屋をバスやタクシーの待合室に利用されるのはよくあるが、こうして駅本屋とホームが保存されているのは嬉しいことだ。いかにも地方私鉄らしい木造駅舎をいつまでも保存してもらいたい。2015.08.29
線路や島式ホームがあった構内は一面に砂利が敷いてある。
ここに長野電鉄保存車両を並べるのだろうか。
2015.08.29

2015年8月26日水曜日

日本人が初めてみた蒸気機関車(模型) 1

嘉永7年(1854年)ペリー艦隊横浜来航時に横浜に持ち込まれた蒸気機関車は1/4の大型模型だが日本人が初めて見た蒸気機関車となるでしょう。この時の蒸気車の絵はあまりにも有名ですが、その原本となるのは現場で写生した絵(色なし)で、それを元に色付け加工した模写がいろいろ出回った。下の絵↓も色付けされた模写と考えられる。

蒸気車 四分一雛形之縮図

蒸気機関車の大型模型は、嘉永7年(1854年)2月15日にほかの品々とともに陸揚げされた、そして翌16日、横浜村に設置された敷地にレールが敷かれた。その後、23日に幕府応接掛や多くの日本人の前で運転が行われた。*2松代藩藩士 樋畑翁輔の*1遺稿を冊子にした「米国使節彼里提督来朝図絵」に汽車模型として描かれており、上の絵は樋畑翁輔が描いたものを模写したと考えられる

上の絵と解説要約は真田宝物館の冊子「松代藩と黒船来航」による。

 樋畑翁輔の遺稿を元に息子樋畑雪湖が編集し、昭和5年に上梓された冊子が「米国使節彼里提督来朝図絵」で収納された絵(印刷)は全て白描画(色彩を伴わず筆線のみで完成された絵)である。

 樋畑雪湖の「米国使節彼里提督来朝図絵」に収納された蒸気車の絵(白描画)

 樋畑雪湖の「米国使節彼里提督来朝図絵」昭和 5年上梓
ペリー来航時に日本で初めて見るものが多数白描画で記録(印刷)されている。

では樋畑翁輔の遺稿とは? →これを明らかするために松代の真田宝物館


*1遺稿: 未発表のまま死後に残された原稿のこと。
*2ペリー来航時の松代藩の二つの役目  
   1.横浜応接場の警衛。 
   2.松代藩の二人の絵師を参加させ当時の状況を克明に写生画に遺した。

2015年8月25日火曜日

西武スマイルトレイン30000系がデビューして7年

昨日の西武鉄道ニュースリリースで「2017年春新型通勤車両40000系デビュー」が発表されました。

スマイルトレイン30000系の後継車だそうで、スマイルがデビューしてから7年が経つ。2008年4月にスマイルがデビューした時の白さやアルミ車体のピカピカは今やとっくに色褪せている。自動車と違って、電車は最新化してもどこかに一貫性あるデザインが望まれる。
昨年引退した阪急2300系などは今も50年経った古さを感じさせなかった。



30000系デビュー記念出発式. 西武新宿  2008.04.26

盛んに試運転していた頃. 東伏見-武蔵関  2008.03.28

真っ白な顔とピカピカに輝いていたアルミダブルスキン車体. 東伏見 2008.03.31

2015年8月23日日曜日

西武6000系イエロー車のカラーリング

#9999さんが作成してくれましたカラーリング1~4案を並べてみます。
西武20000系と同様の現状真っ黒顔のイメージがかなり変わります。

#9999 さんのコメントより.
私がイメージしたのは、ゴリラかブルドックのしわくちゃ顔です。
Katsuさんが建機みたいとおっしゃってましたので、左右非対称を生かしたオリジナルカラーに合わせてちょっと顔をいじくってみました。

 6000系イエロー車 現状の真っ黒顔

イエロー車のカラーリング 1~4案
 1案 黒の範囲を窓回り最小限に

 2案 黒の範囲を オリジナルと同じに

 3案 黒の範囲をオリジナルより少し下げる 

4案 黒の範囲をオリジナルのブルー領域まで下げる

2015年8月22日土曜日

今日の西武電車まつり

西武鉄道 第11回南入曽車両基地電車まつり2015を
久しぶりにLUMIX GX1で撮ってみました。


6000系のステンレス車体を塗装すると見慣れたイエローも新鮮に見えるものだ。

西武で撮ろうと思う顔は今や6000系と2000系前期型くらいか。

イエローカラー車の真っ黒顔は黒の面積多過ぎでステンレス車に比べ顔がつぶれている。
イエローに対する黒の配分がまるで建機みたい。

かってここにN101系2連が休んでいたヤード。

炎天下をもろともせず鉄道ファンの熱い眼差し。