案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年8月7日日曜日

丸子線を走った車両

1970(S45)年、上田丸子で最も魅力的な丸子線は前年に、西丸子線は遠い昔に消え、残った別所線はあまり期待もなしの訪問であった。しかし当時の写真をよく見てみると別所線の「下の郷」駅には1961(S36)年に休止となった西丸子線の駅の面影が残り、更に丸子線を走った話題の車両が別所線に居て、これらから消えた路線のことを偲んでみました。載せた車両は丸子線のごく一部です。


別所線の下ノ郷駅  1970.8.17
左が別所線の島式ホームで、手前が西丸子線のホームだった.廃線で使われなくなった線路上に橋を渡し改札口から別所線のホームへ渡れるようにしてある.向こうには使われなくなった電車が留置されていた.

反対側から見た下ノ郷駅でホーム右が別所線の線路.  ポップアップ


留置されていた電車は元山梨交通のモハ2342+2341. 下ノ郷
橋の向こうに少し離れて西丸子線が発着していたホームの跡が見える.
留置されていた電車の写真をよく見ると山梨交通からやってきた高床式電車2両であった。昭和38年に入線し改造後丸子線で使われ、この留置の翌年に江ノ電に譲渡され連節車となった。


山梨交通時代とはすっかりイメージが変わったモハ2341. 下の郷

気動車の車体を使った丸子線らしい小型電車モハ3220形. 山梨交通から入線し改造前の姿.
  信越線と並走し車窓に見える丸子線はいつも気になる存在であった. 1963.7.20



丸子線を走っていた元近江鉄道の小型車モハ2322+2321   上田原 1970.8.17
よく整ったスタイルの日鉄自動車製のミニ電車.この後1両が銚子電鉄へ転じてデハ501となった.


丸子線の電車と組んで走っていた元気動車のサハ27. 真田

丸子線からやってきたEB4111.      上田

丸子線からやってきたED251. 上田原

2011年8月5日金曜日

上田丸子電鉄 真田傍陽線

ホームに入ってきたのは真田行きの電車モハニ4250形.乗客が乗り込んで発車を待っている.
荷物合造車モハニ4250形は開業時からの古参電車で4両も揃っていた. 
左に停車しているのはモハ4256(元鶴見臨港).    電鉄上田 1970.8.15

トンネルを抜け神川第一橋梁を渡るモハニ4250形.  伊勢山 - 殿城口

真田氏発祥の郷 真田町を行くモハニ4250形.  殿城口 - 下原下   ポップアップ

傍陽方面へ支線が分岐する本原駅.

真田から勾配を下ってきたモハ4260(元東武鉄道).  長村
真田傍陽線は山岳路線であった.

カーブを登ると終点が近い. 長村 - 真田  ポップアップ


勾配を上りつめ真田駅に到着する.

終点真田駅の風景


真田駅は山間の長閑な風景の中にあった.


2011年8月3日水曜日

上田丸子電鉄 夏本番の上田駅

夏休みを使ってよく地方へ撮りに行くことがあったが、8月はちょうどお盆のシーズンで地方私鉄はどこも帰省客など人々の移動で賑わっていた。信越本線上田駅で国鉄に接続する真田傍陽線と別所線では国鉄からの乗換え客で賑わい、夏休みに家族連れでこの私鉄沿線に帰省する人達も多かったのだろう。
それにしても上野から長野方面へ向かう信越本線の混雑ぶりは凄かった、人気の軽井沢~長野方面へ向かう帰省客や観光客で夏の最盛期であった。

昭和45年の上田丸子電鉄は、既に丸子線、西丸子線が消え、この2年後には真田傍陽線も消え、その後別所線だけとなった。この頃に撮った私鉄はどこでもごく平凡な路線だったが蒲原鉄道、新潟交通などと同様に、上田丸子も当時を見ると個性豊かな電車で魅力的に感じるのは時代の変化によるものか。

古風な駅建屋から発着する真田傍陽線はツートンカラーの
味わいのある電車で上田駅によく似合っていた.

真田傍陽線 電鉄上田駅 1963.7.20
夏の子供達はローカル電車に乗って元気一杯の笑顔.
どこのローカル私鉄でも見られた風景.
こんな子供達の風景も楽しい夏のローカル私鉄ならではであった。



信越本線を挟んで反対側は別所線上田駅のいかにも夏らしい光景が. 1970.8.17
1986年の昇圧化前で様々な電車が在籍し丸窓電車も健在であった.


別所温泉行きの電車モハ5370形. 1963.7.20


2011年8月2日火曜日

銚子駅の煙


夕方の銚子駅. 1963.6.31

銚子電鉄を撮り終えてほっとすると、いつものように国鉄の機関区に向いました。

陽も傾き始めた頃、銚子駅構内の引込線ではC58が盛んに煙を吐き、西日を浴びた銚子機関支区ではC58など5~6両が煙を吐いていた。帰りの列車まで機関区をじっくりと撮影させてもらい銚子発16時20分発の千葉行き列車に乗った。わざわざ時間の掛る蒸機の列車を選んだが、銚子~千葉間にはまだC58旅客列車が何本も走っていた。

銚子機関支区   1963.6.31

C58に混って86もいた銚子機関支区

夕陽を浴びた銚子機関支区の蒸機群  ポップアップ

発車を待つ銚子発千葉行きの蒸機列車に乗って帰る.

初夏の夕日が沈むのを眺めながら蒸機列車に揺られて西へ向った.
夕暮れの駅では蒸機列車同士の列車交換を楽しむ.
東京近郊でこんな汽車の旅ができた昭和38年であった.


2011年7月31日日曜日

銚子のポール電車

前回の銚子のポール電車に引き続き、ポール電車時代の風景をアップしてみます。

当時(昭38年) 動いていた車両は元鶴見臨港デハ301、木造車デハ201、そして凸電デキ3、2軸客車ハフ1と2などであった。海辺の小さな鉄道で印象的であったのは、初夏の日差しでコントラスト強い風景とその中を走るポール電車のうす汚さであった。潮風のせいか電車のツートンカラーは色褪せていた。
こんな海辺の小さな鉄道も、今や観光鉄道に変身し電車もすっかり入れ替り、犬吠駅などは驚きの観光駅になったようだ。海辺の小さな鉄道にピッタリであったのどかな沿線風景も変わったことだろう。

撮影 1963(S38)年6月31日

銚子駅で発車を待つ列車は、2軸客車2両と凸電を従えた珍編成.

銚子~仲ノ町間を走る珍編成. 仲ノ町


仲ノ町に居た小型電車デハ101.
凸電と小型電車はサマになる光景であった.

仲ノ町

小さな観音駅
笠上黒生駅の交換風景


君ヶ浜を出て外川へ向かうと、松林の向こうに犬吠崎灯台を見て走る.

海辺にある終点外川駅の風景.さんさんと差す初夏の陽差しが眩しい.
まだ海水浴のシーズンではないが2軸客車(増結)が必要なくらい乗客が多かった.

乗客を降ろすと2軸客車の付け替え作業が始まる.
元鶴見臨港の電車は薄汚れてかすんでいる.
駅舎に書かれた「外川駅」の表示もかすれてよく読めない.

外川駅を出ると漁港町の先に鹿島灘が開ける.

2011年7月28日木曜日

京王線 中型車最後の活躍2

大私鉄京王線の昔の電車の写真を並べても面白味がないが、この中型車だけは別であった。
他の車両と違って5両編成の動的な魅力と、切り離せば地方私鉄がイメージされる静的な魅力があった。

都会電車京王線もまるで地方私鉄のような雰囲気があった.

デハ2150形2165    1963年4月 初台
甲州街道の道路中央を専用軌道化した区間をダブルルーフの電車が走っていた.
京王線新宿駅は1963年4月に現在の地下駅が完成し、この風景もこの直後に地下化された.


デハ2150形2165   下高井戸  1962.12.7
個性溢れる美しい外観をしたデハ2150形.


デハ2125形2128  代田橋  1963.7.19


デハ2150形2161.   1963.8.11
ダブルルーフ電動車デハ2150形の中で最後まで残った5両は昇圧化で全廃となった.


1963年8月4日昇圧化した直後、車庫では役目を終えた中型車が集結していた。1963.8.11


2011年7月27日水曜日

京王線 中型車最後の活躍1

1963(S38)年、京王線の中型車は8月の昇圧化600→1500Vを迎え、最後の活躍をしていた。ネガにあったのはデハ2400形2125形2150形の最後の姿で、その中の2400形など数両がその後地方私鉄へ転出した。

現在の京王線 下高井戸駅風景.


 48年前の下高井戸駅. 1963年4月
デハ2400形2403を先頭に5両編成は全車パンタ付.
どの編成でもダブルルーフの電動車が組み込まれていた.


デハ2400形2410を先頭に東京郊外を走る.1963.7.31




デハ2125形2125   1963.7.31

デハ2125形2125   1963.7.31


2125形2128   国領 1963.7.31