案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年8月18日火曜日

夜行列車

鉄道撮影の旅では、夜行列車と周遊券はもってこいであった。
深夜に乗り込む夜行列車は、驚くほど空いていることがよくあった。ボックスシートを一人占めして、体を横たえて眠りにつく。

ぐっすり眠って目を覚ますと、そこは一変して朝の通勤時間帯。通路には通勤客がびっしり立ち、車内は別世界になっていた。

こんな利用を何度も繰り返したが、通勤客から注意されたことは一度もなかった。旅を続ける若者を、みな温かい目で見守ってくれていたのか、それとも私が運が良かっただけなのか、今となっては分からない。




日豊本線の都城21:17発の鈍行夜行列車に乗って中津到着は6:40だった。熊本で雨に降られ、中津でも降られ雨の耶馬渓線であった。



4 件のコメント:

北鉄ノスタル爺 さんのコメント...

反対に、山岳シーズンの夜行列車に乗ってひどい目に遭いました。

上野発の夜行急行「北陸1号」だったと思うのですが(EF58か62牽引の旧型客車でした)、車内は大学の山岳部や山岳会の団体と思しき人たちで超満員。人とリュックでびっしりの車内は床に座る事さえできず、まさかと思う連結部やトイレの中まで確保されている状態。
誰もヒトの事なんてかまわない、それでいて誰かが文句を言ったりケンカになるわけでなく、淡々としている、一種不思議な空間でした。
仕方なく、僅かな隙間で体を丸めて地べたに座り、仮眠をとる事もままならず夜を過ごし、終点の金沢までこの調子かと思ったら、富山で殆どの人が下車。押し出されるように自分も下車せざるを得ず、寝不足のせいかホームに降りた途端コケました(それでも誰も声をかけてこない)…。
なるほど、乗客の殆どは立山登山だったのですね。

さて、少しでも寝るかとガラ空きになった座席についたけど、終点の金沢までは1時間あるかないかで寝られるはずもなく、その日は北鉄の石川総線の撮影に行きましたが、やはり寝不足のせいかカメラの設定を誤り、殆どの写真がボツでした(涙)。

確か高校1年の夏休みの出来事で、今となっては貴重な体験をしたと思いますが、もうあんなのはこりごり。しかし今でも夏にはあのひどい光景はあるのでしょうか?

長文失礼しました。

katsu さんのコメント...

北鉄ノスタル爺さん
私もよく登山客の夜行列車を体験しました。
松本へ行く時に利用した準急「穂高」の記事をここに載せてあります。
https://umemado.blogspot.com/2020/11/blog-post.html
ほんとうに床に寝る隙間もないというのがそっくりです。いつの間にかこんな列車もなくなりましたね。その後の時代の優雅な金沢行夜行列車の雰囲気が原画展「やこうれっしゃ」でよく分かります。

Cedar さんのコメント...

均一周遊券と夜行座席車、座席に横になって寝て朝起きると通路いっぱいの通勤客の視線が見下ろしてる~何度も経験してますが、たたき起こされたりしたことはありません。やはり呑気な時代だったんですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
心優しい時代だったのでしょう。