案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年9月22日日曜日

地方にあった人々の活気(軌道線の賑わい)

昭和39年、夏の花巻軌道線は人々で賑わっていた。
消えゆくナロー路線ながら駅や列車に乗客が多く
日本はまだ子供や若者が多かった時代。
そんなある時代の賑わいを集めた情景につけた
タイトルを「地方にあった人々の活気」とした。
地方小鉄道の衰退はその後のマイカーブームだけではなかった。

「軌道線の賑わい」
花巻温泉郷へ向かう客で賑わう花巻駅ホーム。
スイッチバック駅西花巻の賑わい。
西公園駅を降りて道路を行く人々。
電車+客車2両が満員の朝の通勤列車。
夏休みの子供達で賑わう志度平温泉駅前の遊園地。
遊園地、温泉帰りの客で満員の列車。
終点西鉛温泉に降り立つ温泉客の賑わい。
 
撮影:1964.8.2

スイッチバック駅西花巻の賑わい.


西花巻と西公園間のSカーブを行く満員列車.


朝の通勤・通学時間帯は満員.1966.3.4


志度平温泉駅の賑わい.

終点西鉛温泉に降り立つ温泉客の賑わい.

4 件のコメント:

北鉄ノスタル爺 さんのコメント...

賑わい感が良いですね。
2枚目の21号、満員の乗客で
車内も暑かったでしょうけど、クーラーなんて不要、もしくはあっても地方私鉄には無縁の時代、車両正面の窓も構わず開け放って、草の香りが混ざったような自然の風が吹き抜けていく、あの時代ならではの空気が伝わってきます。

katsu さんのコメント...

北鉄ノスタル爺さん
ありがとうございます。
今になって気づいたことは
地方私鉄が消えゆくあの時代に各地で見た小鉄道のあの賑わいは、地方に元気があった時代だったということになります。本当に元気な地方だったんですね。
時代とともに見方も変わってきます。
タイトル「軌道線の賑わい」)も見直すヒントになりました。

Cedar さんのコメント...

地方が元気、ということは日本が元気だったということですね。昭和40年代前半くらいまでは地方の駅前や街には人がたくさんいましたものね。シャッター街なんて考えられない時代でしたから、鉄道もいつも混んでいました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
昭和30年代後半~昭和40年代前半にあった地方私鉄の活気は、よく考えてみると地方に元気があった=日本に元気があった時代、正にその通りでこれこそが鉄道の活気の源だったんですね。
思わずFBで西大寺最終日の写真で書いてしまった「軽便消えゆくも60年前の日本にあった活気に感激!!」と。
次々と消えゆく地方の小私鉄なのに何であんなに賑やかで活気があったのか。元気な子供や若者たちが最後の日に別れを惜しむシーン。消えゆく鉄道とは正反対の地方の元気=日本に元気があった時代。