松本の電車には、とんと縁がないのですが、街歩きは何度かしています。落ち着いたあの町には電車が似合う気がしましたね。
Cedarさん何年か前に美ヶ原高原行きのバスに乗って浅間線軌道跡の道路をバスが走ったのですがそれに気付きませんでした。現在の松本市と50年前の松本市がどうしても結びつかなかったのです。木造の路面電車が似合った街でしたが、今ではすっかり洗練されて落ち着いた街ですね。
この電車は松本駅前で、しかも夜に一度見たきりなのですが、なんとも表現しがたい色と形態でした。市内は路面でも実質的には郊外電車なんですね。
モハメイドペーパーさんこの木造電車の色は言葉で表現できないような微妙な色合いで有名ですね。信頼できるこのカラー写真はヒギンスさんが撮ったものくらいでしょう。リバイバルカラーした市内バスも本当の色なのかどうか??
この時代の私鉄の駅はとても手入れが行き届いており、鉄道会社の顔であったのが理解できますな。JRの幹線の市の代表駅クラスですら無人になるこのご時世は、便利になった反面、地方で見捨てられつつある感があり、真寒心に耐えません。
一読者さんこの時代の小私鉄の駅舎、たしかに個性的で立派な駅がよくありました。今の駅舎と違って味わい深いものでした。中でも浅間温泉の駅舎は格別なものがありました。便利になって合理的になってその反面失われたものがいろいろありますね。
旧・島々駅によく似ているので、驚きました。同じ設計者かもしれないですね。松本中心部でタクシー乗ったら、年配のベテランドライバーさんが、当時の路面電車のことを懐かしく語ってくれました。
hmdさん島々駅の駅舎も魅力的でしたね。本日はブログで花巻電鉄を取り上げましたので、偶然にも温泉通い電車の終着温泉駅が続きました。浅間線は一日96往復と活躍していた時代があったそうです。写真の廃線まじかい1963年も朝の通勤時間は賑わっていました。長野県内で浅間線ほど住民に親しまれた電車も珍しいと言われているそうで、年配の方なら誰もが浅間線のことを知っているのでしょう。
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8 件のコメント:
松本の電車には、とんと縁がないのですが、街歩きは何度かしています。落ち着いたあの町には電車が似合う気がしましたね。
Cedarさん
何年か前に美ヶ原高原行きのバスに乗って浅間線軌道跡の道路をバスが走ったのですがそれに気付きませんでした。
現在の松本市と50年前の松本市がどうしても結びつかなかったのです。
木造の路面電車が似合った街でしたが、今ではすっかり洗練されて落ち着いた街ですね。
この電車は松本駅前で、しかも夜に一度見たきりなのですが、なんとも表現しがたい色と形態でした。市内は路面でも実質的には郊外電車なんですね。
モハメイドペーパーさん
この木造電車の色は言葉で表現できないような微妙な色合いで有名ですね。
信頼できるこのカラー写真はヒギンスさんが撮ったものくらいでしょう。
リバイバルカラーした市内バスも本当の色なのかどうか??
この時代の私鉄の駅はとても手入れが行き届いており、鉄道会社の顔であったのが理解できますな。
JRの幹線の市の代表駅クラスですら無人になるこのご時世は、便利になった反面、地方で見捨てられつつある感があり、真寒心に耐えません。
一読者さん
この時代の小私鉄の駅舎、たしかに個性的で立派な駅がよくありました。
今の駅舎と違って味わい深いものでした。
中でも浅間温泉の駅舎は格別なものがありました。
便利になって合理的になってその反面失われたものがいろいろありますね。
旧・島々駅によく似ているので、驚きました。同じ設計者かもしれないですね。
松本中心部でタクシー乗ったら、年配のベテランドライバーさんが、当時の路面電車のことを懐かしく語ってくれました。
hmdさん
島々駅の駅舎も魅力的でしたね。
本日はブログで花巻電鉄を取り上げましたので、
偶然にも温泉通い電車の終着温泉駅が続きました。
浅間線は一日96往復と活躍していた時代があったそうです。
写真の廃線まじかい1963年も朝の通勤時間は賑わっていました。
長野県内で浅間線ほど住民に親しまれた電車も珍しいと言われているそうで、
年配の方なら誰もが浅間線のことを知っているのでしょう。
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