案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年2月27日水曜日

雄勝線 西馬音内の駅舎

私の写真集で使ったこの1枚の写真、最近のfacebookでも使ったのですが、西馬音内駅舎(1971年)を各方向からしっかり撮った方がいらしたのには驚きました。私は西馬音内電車区に目がくらみこの駅舎を撮ったのはたったの1枚これだけでした。
これほど素晴らしい駅舎にも拘わらず当時の私には何も感ずるものがなかった。


西馬音内盆踊りも間もなくの8月のある日、お盆休みで西馬音内駅や雄勝線の列車が賑わっていた。夏休みで帰省した孫たち一家を祖父母が電車に乗って湯沢まで見送りに行くところでしょうか。改札口に見えるのは見送りにきた実家の人達か。 1964(昭和39).8.5

 やがてやってきた湯沢行列車の賑わい。西馬音内

以下は7年後の電車→気動車化された直後の写真で撮影者に使用許可戴きました。
よくぞ撮ったものです、馬小屋風駅舎の全貌はこんなだったのですね~。

1971年夏の西馬音内の駅舎は電車時代と変わらずで7年前そのままのようです。
この時代はマイカーが普及しあの頃の賑わいはなかったことでしょう。
後に駅が湯沢側に移動し、その時にこの駅舎は消滅したようです。

以下の撮影:Usuiさん  1971.8.7
ボンネットバスが待つ懐かしい駅前風景。

地方私鉄で最も感銘を受けた駅舎です。

電車→気動車化されても電車時代そのままに残っていた。

あと10日ほどで西馬音内盆踊りが始まる待合室。私はこの待合室の風景を最も見たかった。
素晴らしい車両(この時は気動車)が走っていたからこそ、組写真にしてこの風景が引き立つ。


3 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

西馬音内駅もすごく風格のある駅舎でしたね。
喩えが今ひとつ適切ではないかもしれませんが、軽井沢の旧駅舎みたいに2階が貴賓室にでもなっていたのでは…なんて妄想さえ湧いてしまいました。
本当は何だったのでしょうか?

常夜燈 さんのコメント...

今から思えば駅舎の規模は大きいですネ
私も木造単車やラッセル、ロータリー車を
一両ごとに撮っていて駅正面から撮った1枚のみ。
お約束の電話BOXも写っています。二階の旧雄勝鉄道本社
(当時は運輸区)?も広い。ここまで撮ったセンスに
脱帽です。

katsu さんのコメント...

esehokuさん、常夜燈さん

私も西馬音内の駅舎の大きさと二階がどうなっていたのか気になっていました。
外観と大きさが本社事務所と駅舎を合体したような感じす。
羽後交通になってからからは本社が横手市になっているので、常夜燈さんが言われるように雄勝鉄道時代に本社として使われたのでしょう。本社が横手になってからは一体何に使われたのでしょうか?

雄勝線に関する先輩方がまとめた古い鉄道誌の記述をいろいろ調べてみましたが、こんな西馬音内の駅舎に関しての記述は皆無でした。昔からいかに鉄道趣味が車両に偏っていたかです。

私も車両趣味に偏り雄勝線の現役時代に建築物に目が向かなかった一人です。
車両の細部を撮った写真などは今になって何も役立たずで、当時にこのような駅舎にも関心向けていれば宝の山ですね。
もし当時に建物等に目覚めていれば私は駅舎の細部ではなく駅舎の日常風景を撮ります。