案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった。
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
を回想してみました。

2026年9月28日月曜日

冬の三国港駅その2

臨時改札口を右へ入ると売店があり
その奥に駅本屋があった。
背後の松林の中に木造の建屋が見える。
サハを付け替えたモハが発車を待つ
静かで落ち着いた駅のひと時。 

京福福井支社 三国芦原線 1968.1.14


三国港駅



2008年の三国港駅。




6 件のコメント:

北鉄ノスタル爺 さんのコメント...

この時代の京福のツートンカラーは落ち着いていて好ましいですね。
前回の三国港駅の図で、つい隣県の北鉄浅野川線・粟ヶ崎海岸駅を思い出しましたが、あちらは海岸線ギリギリの砂地まで線路が敷かれていました。
そんな乱暴さや適当さ?が許された良い時代だったと思います。
もっともあちらは海水浴客のためでしたし、どちらかと言えば金石線の大野港駅の方が三国港駅同様だったでしょうか。
三国港駅は駅本屋や売店があるだけ立派ですね。
今も変わらないのでしょうか?

katsu さんのコメント...

北鉄ノスタル爺さん
私の記憶に京福ツートンカラーは強く残っていません。緑とクリームが記憶にあっても正確な色合いは記憶がなく、今回のツートンカラーは推定です。この地方私鉄標準色のようなカラーリングがよく似合って落着きますね。
15年前位に再訪した駅は線路配置などそのまま残っていました。ただあの時代と今で違うのは時代の色合いだと思います。国内どこもすっかり変わってしまった。

#9999 さんのコメント...

Katsuさん こんにちは。奥にタンク車が停まっていたので調べてみました。
三国港駅からは、室 新太郎専用線という名の出光興産臨海油槽所までの専用線が分岐していて、
当時三国港には大型のタンカーが接岸する設備はなく、京福電鉄の鉄道輸送によって燃料を運び込み、三国港の船舶や周辺地域へ供給するための基地だったらしいです。変な名前の専用線ですが、個人名を冠した専用線は珍しいものではありませんでした。本題とは関係ない話で失礼しました。

katsu さんのコメント...

#9999さん
別の写真をよく見ると、駅の先に分岐ではなく線路がそのまま延びてその先の石油タンクへ向かっていて、石油タンクに出光の文字が確認できました。そこからタンク車で運んでいたのですね。貴重な情報ありがとうございました。

#9999 さんのコメント...

航空写真で油槽所の場所確認しました。てっきり三国駅側の分岐が専用線と思っていました。貨物線は作図のあたりで行き止まりになっているようです。

https://freightcar.jp/transit/mikuniminato/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E6%B8%AF%E9%A7%85_1962.jpg

産業の少ない仙台ですが、子供のころ歩いて行ける範囲だけでも専用線が6本もありました。数えたわけではありませんが、専用側線・専用鉄道の数だけでも地方鉄道の数倍はあると思います。1960年代の記録は少ないですね。

katsu さんのコメント...

#9999さん
三国港駅からは、室 新太郎専用線という名の出光興産臨海油槽所までの専用線が分岐していて、・・・。
とありましたが、この専用線も、出光から京福のタンク車による燃料輸送も無かったということですね。