katsuさん、早速のアップロードありがとう御座いました。思っていたより立派な駅だったんですね。実は私が5~6才の頃、脳裏に駅らしいホームと線路とその向こうに青々と茂る稲の田圃のような風景がぽっかり浮かんだりしました。聞けば1~2才の頃に母親と加津保の実家で暫く暮らしたのだそうです。当時暮らしていた所にはその様な風景は無いのでそのとき見た加津保の風景なのかと思った物です。今回の写真でその思いを強くしました。いつも思うのですがkatsuさんの絵は単なる鉄道の記録ではなく、その当時の人々の生き様とか時代の様子が切り取られていて素晴らしいと思います。霞ヶ浦の湖畔にたたずむ少女とか花巻の砂利道を杖をついて頼りなげに歩く老婆とか心に染みいります。つい長くなってしまいましたがこれからも宜しくお願いいたします。
toshiさん脳裏に残る遠い昔の駅らしい風景は加津保駅かも知れませんね。寒くて暗い日に訪ねたこの駅のことを思い出し、私もなんとなく加津保駅が幻想的に思えてきました。加津保という駅名もいいですね。過分にお褒めいただき恐縮です。私はその時代の様子が分かるような写真が鉄道写真の面白さと思っていますが、当時はその意識が希薄で何故もっと撮らなかったのかいつも悔やんでいます。今後も思い出につながるような写真をなるべく載せたいと思っていますので、宜しくお願いいたします。
katsuさん少し付け加えさせてください。駿遠線のページの平成11年10月26日の写真で新岡崎の駅が有りますが、それが伯母が住んでいた家のすぐ近くなんです。一度だけ訪れた事が有りますが、すでに廃止された後だったので何もなかった筈です。でアップされた日が私の誕生日!何か因縁めいてきました。(笑)
toshiさん駿遠線は新岡崎でしたか。この一帯は茶畑が拡がるのどかな土地だった印象があります。軽便は思い出につながる話題が多く、こういうお話を聞くと嬉しくなります。
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4 件のコメント:
katsuさん、早速のアップロードありがとう御座いました。
思っていたより立派な駅だったんですね。実は私が5~6才の頃、脳裏に駅らしいホームと線路とその向こうに青々と茂る稲の田圃のような風景がぽっかり浮かんだりしました。
聞けば1~2才の頃に母親と加津保の実家で暫く暮らしたのだそうです。当時暮らしていた所にはその様な風景は無いのでそのとき見た加津保の風景なのかと思った物です。今回の写真でその思いを強くしました。
いつも思うのですがkatsuさんの絵は単なる鉄道の記録ではなく、その当時の人々の生き様とか時代の様子が切り取られていて素晴らしいと思います。霞ヶ浦の湖畔にたたずむ少女とか花巻の砂利道を杖をついて頼りなげに歩く老婆とか心に染みいります。
つい長くなってしまいましたがこれからも宜しくお願いいたします。
toshiさん
脳裏に残る遠い昔の駅らしい風景は加津保駅かも知れませんね。
寒くて暗い日に訪ねたこの駅のことを思い出し、私もなんとなく加津保駅が幻想的に思えてきました。加津保という駅名もいいですね。
過分にお褒めいただき恐縮です。
私はその時代の様子が分かるような写真が鉄道写真の面白さと思っていますが、当時はその意識が希薄で何故もっと撮らなかったのかいつも悔やんでいます。
今後も思い出につながるような写真をなるべく載せたいと思っていますので、宜しくお願いいたします。
katsuさん
少し付け加えさせてください。駿遠線のページの平成11年10月26日の写真で新岡崎の駅が有りますが、それが伯母が住んでいた家のすぐ近くなんです。
一度だけ訪れた事が有りますが、すでに廃止された後だったので何もなかった筈です。でアップされた日が私の誕生日!
何か因縁めいてきました。(笑)
toshiさん
駿遠線は新岡崎でしたか。
この一帯は茶畑が拡がるのどかな土地だった印象があります。軽便は思い出につながる話題が多く、こういうお話を聞くと嬉しくなります。
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