1967年7月9日に5回目最後の訪問をした時は部分廃線が始まり、残された袋井~新三俣間も翌月には廃線で、袋井工場も閉鎖直前であった。見納めのこの時は袋井から新横須賀まで往復してみた。
この4年前(1963年)はこの線をDBが牽く列車が盛んに走っていたが、その後は湘南型キハの単調な風景になってしまった。この区間は全線に亘り平坦で平凡な風景であり、やはりDBが牽く列車でないと魅力がない。袋井に最後まで生き残った数両のDBは朝夕にでも走っていたのだろうか。
もう一度、駿遠線の終焉を整理してみると。
1963年4月4日 初めて駿遠線袋井を訪問。
1964年9月26日 大手~新藤枝 堀野新田~新三俣間 廃止
1967年8月27日 袋井~新三俣廃止間 廃止 袋井工場閉鎖 DB601~609の全廃
1968年8月21日 大井川~堀野新田間 廃止
1970年7月31日 新藤枝~大井川間 廃止
荷物合造客車ハニ1が連結された列車. 新岡崎 1967.7.9
袋井← |
袋井← ダブルルーフ客車がご愛嬌. |
田んぼの中の小さな駅 七軒町
7 件のコメント:
平野をひたすら走った駿遠線の
場所特定は難かしい。
山の稜線が見えないから。
丘の裾野をまわるのは石津付近では
ないでしょうか?
常夜燈さん
カーブするところは石津を出て新岡崎方面へ向かった所かも知れません。
通常、パンタ位置や行先表示板等で上り下りを確認してから、昭和40年頃の航空写真から場所を割出しますが、今回の駿遠線のキハは上り下りも全く判別できず諦めていました。
それと昔の地図や航空写真を調べるのもかなり根気が要りますね。駿遠線で駅が写ってない場所特定はほんとうに厄介です。
何度もスミマセン。
その次ですが「新三輪」駅の
袋井寄りではないでしょうか?
ネガの順番ですと違ってきますが。
新三輪駅は堤防上にありまた。
実は2年前に旧横須賀駅から
袋井駅まで自転車で旧線跡を
走りましたのでその時の画像を
確認しているのですが線路側からの
映像ばかりですのでハッキリしませんが。
ありがとうございます。
常夜燈さんのHPでちょうどこの区間を歩かれた写真を参考にさせてもらっています。
ブログ記事の上から2番目と3番目の写真は同一場所の築堤です。更に詳しく調べてみます。
常夜燈さん
阿形昭さんに確認して頂き、正確な位置が判明しました。ご指摘の石津~七軒町間でした。
石津を出て新横須賀に向かい左にカーブする、地図でみると鳥居があるところです。
廃線前の駅位置が入った地図がないとほんとうに苦戦するものです。
私は、「新横須賀」駅の近所の河原町で昭和38年に生まれました。まだ赤ちゃんの頃、おばーさとよく叔母の出勤を見送り駅まで、行ったといわれていました。記憶には全然ないのですが…。
そして、ふと今日は仕事中ですが、静岡県の横須賀をネットでなにげなく調べていたら、静岡鉄道駿遠線にネットサーフィンをし、このページにたどり着きました。
記憶にはないのですが、不思議とどこか懐かしさを感じます。
こんな駅だったんだなとか、あの場所が駅だったんだなとわかることができ、うれしくなりました。
静岡鉄道駿遠線の歴史を写真と一緒に見られて感動の時間、ありがとうございます。
匿名さん
新横須賀の思い出話しをありがとうございました。
昭和42年夏に撮った新横須賀の駅、この近くに幼少時代にいらしたということですね。
この頃、新横須賀駅から荷物を背負って袋井へ向かうおばさん達が印象的でした。
こんな車内も撮ってあります。
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