案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年6月26日日曜日

長崎電軌 蛍茶屋支線

長崎駅前で3系統 蛍茶屋行きに乗ると、桜町から坂を下り公会堂前の分岐点に到着する。
蛍茶屋からこの公会堂前を通り西浜町までが蛍茶屋支線で、5系統(蛍茶屋~石橋)の一部となる。
公会堂前から繁華街西浜町へ向かうと、どこからも山並みが見えいかにも地方都市らしい。ストリートビューで44年後の今の風景を覗いてみると、ビルの間に今でも山並みが見える長崎の繁華街であった。



桜町 - 公会堂前  1967.3.2  ポップアップ画像

公会堂前の分岐点

西浜町 - 公会堂前

賑橋. 眼鏡橋はここから近い.

西浜町の賑わい. ポップアップ画像


思案橋から蛍茶屋へ向かう4系統.  西浜町(アーケード前)

もう一つの西浜町. 思案橋行きはここで分岐する.

6 件のコメント:

南部孝一 さんのコメント...

10年位前、長崎に出張した時よく利用しました。
1ヶ月間でしたが、平日は夜の繁華街に休日は観光地にととても便利でしたね。

katsu さんのコメント...

南部孝一さん
コメントありがとうございます。
仕事で1か月滞在なら港町長崎は理想的ですね。
平日の夜は美味しいものを食べ、休日は名所めぐりですか。羨ましい出張でしたね。
44年前の私は、せっかく長崎に来たのに駆け足で市電を巡り、長崎の美味いものには全く縁がなく、旅とは言えないものでした。でも鉄屋の旅ってこんなものなんでしょうね。

匿名 さんのコメント...

1960年代、自分が子供の頃この写真の場所(賑橋近辺)に住んでました。
どの写真も詳細にどの場所からどっち向けて撮ったのかはっきりわかります。
本当に涙の出るような感じです。古き良き時代の思い出です。

katsu さんのコメント...

匿名さん
この時代に賑橋近辺にお住まいでしたか。
この5系統は歩いて撮った場所が判らず苦労しました。
GoogleストリートビューやYoutubeで何とか場所の確定が出来ました。
街の先に写った山並みは変わらず当時の風情は今も残っているようですね。

匿名 さんのコメント...

返信ありがとうございます。もう街角の植込みの植物まで「ああここにこんなのあった」て思うくらいのレベルで(笑)
1と2枚目の写真の左奥の山は確か「彦山」だったと思いますけど昭和の時代は写真のようにモヒカンのような頂辺でGoogleで見る今は普通の山ですね。(長崎の人間は記憶にあると思いますけど)
それはさておき、先日夜中にテレビ見てたらHKT48の番組でこの写真と同じルートで電車の中でのロケが流れてたんです。何十年も聞いてない電車のモーター音や運転手のレバー回す音がすごく懐かしかったです。
同時に電車の内部が全く当時と同じなのにもびっくり。
自分が子供の頃も戦前から使われているような車両が現役だったし、数十年同じ車両が使われているようで物持ちの良さにもびっくりです。
上部がクリーム色で下部が深緑の塗装の車両に凄くノスタルジーを感じますね

katsu さんのコメント...

匿名さん、
桜町から公会堂前交叉点に向かうと背後に見えた変わった山は彦山でしたか。同じ場所の今をストリートビューで歩いてみると、山並みはビルに隠れてしまい、市電をまたぐ国道34号線の市役所前からビルの合間に山頂がかろうじて見えました。
彦山は長崎のシンボル的な山なのですね。確かに今の彦山は当時の異様な感じがなくなり普通の山ですね。山と海と名所旧跡があり、そこを昔から変わる事のない路面電車が走る長崎の街。何と素晴らしいことでしょうか。