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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年6月11日土曜日

昭和51年 尾小屋最後の時代

尾小屋鉄道を最後に訪問したのは昭和51年春であった。
廃線1年前で構内の線路もだいぶ外されて寂しくなっていた。
初めて訪問した1962年夏から14年も経っていてよく生き延びたものである。
散々楽しませてもらった尾小屋鉄道を見るのもこれが最後となってしまった。

2012年4~5月にアップした「昭和51年の新小松駅」の続編です。


撮影:1976.04.09


尾鉄バスの観光事業で賑わう新小松駅。

新小松を発車すると民家や工場が並ぶ。




新小松駅の風景。


バスが同居していた新小松の車庫・工場。


かつては給水塔があった機械工場の一角。




4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

すばらしい写真,ありがとうございます。
何でも大きい方がよいとは限りませんが,写真だけは大きい方がよいと思います。
両親の出身が大聖寺ですので,小松にも縁があります。
隅から隅まで鑑賞させて頂いています。
H.O

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。
ブログを始めた頃に比べると今はネット環境が大きく変わったものです。
今やスマホで見る画像ですら自動リサイズされた長辺2048pixほどの画像がストレスなしに見れます。
昔、抑えていた長辺500pixほどの画像がチマチマして見えます。
時代とともに年々大きくなっていくブログの画像です。

匿名 さんのコメント...

昭和51年の新小松駅 自分は昭和43年生まれなんですが尾小屋鉄道を始めとする軽便鉄道は
なんとなく自分が生まれる前のものというイメージがあるのですが「AUTO SNACK」の文字を
観てもうすこし身近なものに感じられました。母親の実家が関東鉄道鉾田線の鉾田駅だったのですが同じようなもの駅前に昭和50年代にあったのを思い出してとても懐かしく感じました。
素晴らしい写真をありがとうございます。

katsu さんのコメント...

匿名さん
確かに軽便鉄道の多くは昭和45年頃までに消えていましたね。
非電化でここまで存続した軽便鉄道は珍しい存在でした。

新小松駅の敷地に「AUTO SNACK」の建物が出来たのは時代を象徴していて、
永く存続した尾小屋鉄道ならではの風景だったと思います。
古ぼけた駅待合室には尾鉄観光の文字が見え観光バス事業が盛んになっていたのでしょう。
こうして新しい時代に少しだけオーバーラップして消滅した尾小屋鉄道は、
その最後の時代に多くのファンが軽便体験できて最も人気の軽便鉄道になったと思います。