案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年12月13日日曜日

後楽園駅の訪問記

西大寺鉄道の後楽園駅の跡に、竹久夢二の郷土美術館本館が建てられているのを今日初めて知りました。夢二生家記念館は西大寺の西方 瀬戸内市にあるのですね。

竹久夢二の待宵草と太宰治の月見草は似たようなイメージの花で、私にとってこの二人も似たイメージがあった。津軽が故郷なのは太宰治で、竹久夢二の故郷は岡山であった。

西大寺鉄道が現役時代に訪ねた後楽園駅の記録を書き出してみました。

西大寺鉄道 後楽園駅


岡山電軌
昭和37年7月29日
朝7時過ぎ岡山市内の宿を親切な女中さんに送ってもらい出発した。いよいよこれから西大寺鉄道訪問で後楽園の駅まで岡山電軌を見ながら歩くことにした。朝のメインストリートには岡電の単車が車体を前後に揺さぶって走っていた。


後楽園駅のキハ7
大きな堀を渡るとそこは後楽園、そこを左へ曲がりまた橋を渡ると「西大寺市行のりば」の看板がある後楽園駅が目前に現れた。待合室にいる乗客はお婆さんが二人だけ。駅に荷物を預け(15円)駅舎などを撮っているとボギー気動車キハ7がホームに入って来た。


キハ7車内
発車まで車内ではバス運転手と同じ格好をした運転手が朝刊読みながら客席シートで一服
していた。お客が4~5人乗るといよいよ発車で私は運ちゃん横の特等席に座った。

エンジンがブルルンと掛かるとチェンジギアのレバーを入れ替えて気動車は動きはじめた。
やはりナローの乗り心地は格別でカタンカタンとレールの気持ち良いジョイント音を響かせて民家の軒下をかすめて進んで行った。運ちゃんの気楽な恰好の足元はサンダル履き。

しばらくすると田んぼの中一直線の草ぼうぼうの線路を気動車はえらくスピードを上げてきた。左手に山陽本線が見えてくると、まもなくして気動車は財田(東岡山)駅に到着した。


財田の交換

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

西大寺鉄道は本州唯一の3ftゲージ、やはり「広軌感」がありますね。
岡電の単車もいいですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
大正ロマン美人画を描いた竹久夢二と西大寺鉄道。
岩木山を望む津軽の太宰治と津軽鉄道。何かと結び付けてしまう私です。
珍しい3ftゲージの西大寺鉄道。
他路線にはない西大寺鉄道の数々の特色を膨らましてみたいものです。

鹿部電鉄 さんのコメント...

車内の写真からニブロクでもなくサブロクでもない大きさが伝わって来ますね。廃止された時は中学生だったので雑誌で見ただけでしたが、数年後両備バスセンターに保存されているキハ7を見つけた時、何とも言えぬその質感に震えました。
ところで、単端は最期まで走っていたのでしょうか? Katsuさんは西大寺に限らず単端に乗ったことありますか?

katsu さんのコメント...

鹿部電鉄さん
ちなみに西大寺キハ7(保存車)を井笠ホジ8(バケット付)の車体の全幅と全高を比較してみると
ほぼ同一でした。車両限界は2'6''ゲージと変わらなかったと思います。
RMライブラリーの写真によると単端は客車牽いて最後の年までキハ1形、キハ8形は走っていました。
1962年夏の廃止直前に私が訪問した時はラッシュ時でなかったので車庫に何両も休んでいました。
キハ8形のでかいバケモノ単端が傑作でした。これらも朝夕には動いたのでしょう。

私は走っている単端には乗ったことがありません。
静止状態で乗ったのが唯一沼尻の単端だけです。

鹿部電鉄 さんのコメント...

そうですか、数字で比較するとニブロクと大差ないのですね。直前に訪ねた下津井の電車の狭さの印象が強かったので、西大寺のバスセンターで見た時に「これは(少し)大きいな」と思ったのかもしれません。同じ鉄道の中でも大小色々あるので、感覚だけでは正確な比較はできませんね。スケールの違う模型を並べたようなナローならではの面白さかと思います。

katsu さんのコメント...

鹿部電鉄さん
展示車両は置かれた環境により大きく見えることがよくあります。
糸魚川で北陸本線の脇で動いていたちっぽけな協三工業製ミニ蒸機が
ある展示会で室内に展示されたときは、あまりに大きく見えて驚きました。
博物館の車両も大きく見えることが多いと思います。