案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2026年3月13日金曜日

時代のひとコマ

東急玉川線 玉電用賀 1965年夏
大山街道手前の踏切を走り抜ける電車の前を、
人が足早に渡っていく。
自転車に乗ったおばさん、塾通いらしい女の子。
下駄を履いた若者、どこにでもある街の昼下がり。

こうした街の風景は、早くに消えてしまった。
気がつけば街はすっかり姿を変え、
玉電が走っていたことさえ忘れ去られて行く。
あれは何気ないある日の記録。
今思うと、それは時代のひとコマだった。

電車は踏切を渡ると木立の脇をカーブし併用軌道(大山街道)に入る。



8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

時が経つのは早いものですね。貴兄とは砧線行きましたね。明大鉄研OB会写真展には水浜線と東武日光軌道線の写真を展示する予定です。いずれも路面電車。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
お久しぶりです。砧線から少し渋谷寄りの用賀へ、青蛙さんとよく墓参りに行ったことが思い出されます。今年の写真展で水浜線と日光軌道線の名作を楽しみにしています。

伊豆之国 さんのコメント...

玉電用賀駅を出て再び路面区間に戻るところの風景、あれから60年近く過ぎた今もまだはっきり覚えています。写真の右端に小さく写っている、片方だけの踏切警報器があったのを不思議に思っていたのでしたが、道路を斜めに横切るような形で向かって右側の道端に出るような形になっているので、下り方向から来る車に注意を促すためのものだったのでしょうか。やはり写真の右下にわずかに見える線路は、かつて大橋から車庫を移す計画があって、そのために造った引き込み線の跡だった、という話を聞いたことがありました。
写真に写っている104号は、のちに江ノ電に移り、引退後に宮の坂で保存されている601号ではないかと思いますが、江ノ電時代に改造されたままの状態で、玉電時代の姿に戻っていないのが非常に残念です。今、この界隈にある建物で、当時から残っているのを見つけるのは、もはやほとんど不可能に近いのではないでしょうか。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
あれから数十年で劇的に変化した玉電沿線。良く思うのですが、これから先も更に変化して行くのでしょうか? それは全く分かりませんね。

Cedar さんのコメント...

路面電車は人との距離が近い、それが表現されてる素敵なお写真ですね。塾通いの女の子は用賀生まれの亡妻と同じくらいの歳だなあ、などと思いながら拝見しました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ありがとうございます。奥様は用賀生まれでしたか。塾通いの女の子のシーンがジーンと来ますね。

Cedar さんのコメント...

再コメ失礼します、画面右手の魔界ゾーンの映画館は最後は実演(スト○○プ)やって警察の手入れ食ったとか、今も魔界ゾーン裏手にある妻の小学校では前を通らないようにと言われたという話を聞きました、写真の女の子もその道は避けてたんでしょうね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
用賀の魔界ゾーンの話が出たのは確か15年位前のブログだったと思います。映画の撮影場面があったり情報源はCedarさんのブログだったか? すっかり変わってしまったあの場所に、10年以上前に毎年お墓参りで花を買いに立寄ることがありました。